〔人間とは何か〕
2014年2月18日(火)
「そして神はいのちの息を吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2章7節後半)人間として生きるとは、肉体として神の霊を受けて生きるということである。
・・・
神の霊は肉体に吹き入れられてこそ初めて人間という存在になるのである。
・・・
被造物において神が創造したままの肉体が破壊されてしまった後に、神はイエス・キリストにおいて再び肉体の中に入って行った。
・・・
人間は肉体を取るにもかかわらず神のかたちであるというのではなく、肉体を取るからこそ神のかたちである。なぜなら、肉体を取ることによって人間は地と関係を持ち、また肉体を持つ他の生き物とも関係を持つことになるからである。すなわち肉体を取ることによって、人間は「他」のために存在することとなり、「他」に依存して存在することとなるからである。肉体を取ることによって、人間は自分の兄弟と地とを発見する。土と霊よりなる人間は、このような被造物として、彼の創造者である神に「似て」いる。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、86頁ff。
肉体があるので、隣人の弱さや限界を知ることができます。隣人の弱さや限界を知らず限りなく隣人に依存し要求し続けるときは、自分自身の肉体も弱さと限界を持っていることを学ばなければなりません。
聖書を学ぶことの重要な一つのポイントは、人間の弱さと限界を知ることと、それを背負って十字架にかかり、三日ののちによみがえって尽きることのないいのちに生きる道を開いてくださった主イエスさまの強さを学ぶことです。
(祈り)
神さま、肉体として人間であることを感謝します。隣人の弱さや限界を知ることができるように。そして主イエスさまの強さを学ぶことができるように、助けてください。
コメントを残す