2014年2月14日(金)
「わたしは、どんな宝よりも、あなたのあかしの道を喜びます。」(詩篇119・14)神の言葉はあらゆる喜びの源泉であり、神の「あかしの道」はこのような喜びで満ちている。それは神の道というものが、神自身がすでに通った道であり、そして今また神がわれわれと共に歩む道であるからである。神がわれわれと共にいるところには喜びがあり、この喜びをわれわれから取り去る者は誰もいないのである。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、79頁f。
「あなたの」すなわち神さまの「あかしの道」。新改訳では「あなたのさとしの道」。新共同訳では「あなたの定めに従う道」。つまり神さまが私たちに、この道に進みなさい、と声をかけてくださって歩んでいる道。そして神さまが喜んでいてくださる道。そのような道に歩むことを私たちは喜びとします。あるいはそのような道を歩むことによって誰からも取り去られることのない喜びに生きることができます。
もし今喜びを見失っているならば、神さまの定めの道を歩み始めればいいのです。これには遅すぎることはありません。今から歩み始めればいいのです。
なぜそのような道によろこびがあるのか。それはイエスさまご自身がすでに通られた道であり、今もまた共に歩んでくださる道だからです。神さまが共にいてくださる道は、どのような道であったとしても確かな喜びに満ちています。
(祈り)
神さま、あなたの定めの道を歩ませてください。
コメントを残す