2014年2月11日(火)
「あなたに対して罪を犯すことのないように、わたしはあなたのみ言葉を心の中にたくわえます。」(詩篇119・11)神の言葉は私の知性の中にではなく、心の中にたくわえられるのである。神の口から出る言葉の目的は、神の言葉がわれわれの思考の対象とされ、われわれに理解しつくされてしまうということではない。・・・
もし神の言葉を私の理解の対象としようとするなら、私の理解は多くの場合に神の言葉以外のものに向けられているので、私は神に対して「罪を犯す」ことになる。・・・
神の言葉について多くのことを知っていても自分のうちに何も「たくわえられ」ていないならば、何もならない。それよりは少しでもよいから聖書をゆっくりと読んで、それがわれわれのうちに入りこむまで待つほうがよい。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、75頁f。
聖書の言葉は、私の理解の対象とするものではなく、私の心の中に入りこんで、それ自体が躍動するようになるもの。聖書の言葉を心にたくわえるとは、そのように聖書の言葉を読むことです。
聖書の言葉自体が躍動するまで、沈黙と黙想の中に留まることが大切です。
(祈り)
神さま、聖書のみ言葉をありがとうございます。あなたのみ言葉を心の中にたくわえることができるように導いてください。そのために、沈黙、黙想の時を大切にすることができるように助けてください。
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