できることに目を向けて

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あなたはもはや彼のことを考える義務もなく、ただ祈りをもって神のもとにいこうと誘うだけで十分です。彼にさらに語る必要もなく、主に委ねるのです。まさにあなたは他の未信者、正直で、優しく、善意あるほかのすべての人に対しても責任を負っています。あなたはその人に丁寧に関わり、事情が許す限り親切に扱います。しかし、公に自分を罪人と公言している人に対して、あえて友達になったり、親しくしたりすることはないのです。

だれが悪口に対して立ち上がり、私と共に神の味方をするでしょうか。神の恵みによって、急流よって押し流されないようにしなさい。

マタイによる福音書18章17節
2013年10月23日(水)

『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
316頁

罪を指摘する段階の一つ目が、一対一で指摘すること、第2段階は複数の小さなグループで指摘すること、第3段階は教会の長老に伝えて指摘していただくこと。この三つの段階を経ても罪に生きる人がいます。そういう人に対しては神さまにゆだねるしかなく、ただ祈りをもって神のもとにいこうと誘うだけで十分であるとウェズリーは語ります。もはや彼のことを考える義務はないのです。

その人ばかりに集中するあまり他の人への配慮が怠ってしまうことのほうが問題です。

人間には力の限界があります。またそれぞれに賜物があります。できることとできないこと。得手と不得手。イエスさまはそれらを大切に生きることを語られます。それが人間に生きる道であり、神にならない道です。神さまを愛し、自分を愛し、隣人を愛する道です。

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