代弁することとは

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まことに、だれに対しても、他の人と同時に自分に対しても悪行を行われるのを防ぐために、被害を受けようとしている人が不在のときに代弁するのは、その人の義務です。

マタイによる福音書18章15節
2013年10月19日(土)

『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
312頁

私は頭が悪くてこの文章を理解することがなかなかできないのですが、ウェズリーはこんなにもわかりにくい説教をしたのかな~と思いつつ一所懸命理解に努めています。

ですから訳者の先生には申し訳ないのですが、勝手な理解をさせていただくとすれば、

自分に対して罪を犯している人がいれば二人だけのところで忠告しなさい、とイエスさまは言われました。しかし唯一の例外として自分だけではなく誰かと共に被害を受けてしまう時は「代弁するのは、その人の義務です」ということでしょうか。

この場合、代弁というのは、二人だけのところで忠告することをしないということでしょうか。

たとえばいじめを見たときに、あるいはいじめにあった時に、加害者と二人だけで解決しようとせず、いろいろな人に相談して解決の道を求めていくということでしょうか。

この理解が正しいとすれば、よくわかります。自分の心の中だけで、あるいは当事者だけで解決できない問題はたくさんあります。自分の中だけで解決しようとせず、イエスさまの前に、そして信頼のできる多くの人の前に明らかにして共に祈り、共に解決の道を求めて生きましょう。

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