謙遜は私たち自身への正しい判断です。謙遜は自分自身は完璧であるという、うぬぼれから私たちの心を清めてくれます。また、本来は聖霊の純真な実であるのに、あたかも自分自身の能力や業績から得たかのような不適切な見解を切り捨ててくれます。
マタイによる福音書5章3節
2013年9月30日(月)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
291頁
心の貧しい者は幸いである、と主イエスさまは言われました。貧しさとは謙遜であるとウエズリーは語っているようです。謙遜とは自分自身への正しい判断である、といいます。
自分自身への正しい判断のない人が(自分も含めてですが)いかに多いことでしょう。うぬぼれ、自分の能力への過信、自分の業績への慢心。これらが如何に自分を殺し、周りに迷惑をかけていることか。
まことの信仰者は、このようなことから清められ自由にされているはずです。しかし残念ながら教会の中にこのようにきよめられ自由にされている人を発見することはまれです。
もし信仰生活の祝福を本当に願うならば、自分自身への正しい判断、そしてそこから来る謙虚さを追い求めることを、信仰生活の第一にしなければなりません。そのほかのことのかまけているならば、残念ながら信仰生活の祝福、そして人生の祝福はやってきません。
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