私たちは、たとえそれを聞く人から何も戻ってこなくても、主の名によって語るとき、神の全領域にわたるアドバイスを妨げられることなく宣言するのです。より効果的にこれを行うために、明確に語るのです。
ローマの信徒への手紙3章31節
2013年8月26日(月)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
255頁
日曜日の主日礼拝の説教、水曜日と金曜日の祈り会、月に何度かの家庭集会、などで説教をします。
話をするのですからどうしても聞く人たちの反応が気になります。それは話し手として大切なことです。
しかしその反応にかかわりなく私たちは語らなければなりません。ですからそれは説教というよりも宣言という感じになります。
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