私は天からの幻に背かず

静まりの時

  • テーマ:回心
  • 聖書箇所:使徒26・19~23
  • 日付:2026年08月04日(火)

19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、
20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。

キリスト者に対して迫害する者であったパウロが、主との出会いによって人生が180度変えられ、今度はキリストを宣べ伝える伝道者となりました。

主との出会いは人間を変え、その人生を変えます。

パウロが回心したのち宣べ伝えたことは、「悔い改めて神に立ち返る」こと、そして「悔い改めにふさわしい行いをする」こと、でした。行いではなく信仰によって救われると説いたパウロですが、救われた者は、その救いにふさわしい行いに生きるべきである、とパウロは語ります。パウロは行いは必要がないと語ったのではなく、救われるためには行いは必要ないけれども、本当に救われたというのならば、必ずその生き方が変わるはずである、悔い改めにふさわしい行いに生きようとするはずである、と語るのです。行いと信仰は対立しているのではない、健やかな信仰は必ずそれにふさわしい行いを生むと聖書は語るのだと思います。

22 このようにして、私は今日に至るまで神の助けを受けながら、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしています。そして、話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。
23 すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。」

パウロが語った福音は「キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し」たこと、すなわち十字架と復活でした。キリストは良い方であったとか、癒しや生き返りなど奇跡を行ったとか、よい教えを数々お話しくださった、ということではなく、ひたすら十字架と復活を語ったのです。

そしてそれは「話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません」、つまり旧約聖書の預言の成就であった、と語りました。私たちがユダヤの聖書(律法、預言書、諸書)を、「旧約」聖書、と呼ぶのは、その内容が成就したと信じるからです。成就したこととは何か。それが「新約」聖書に記されていること、すなわちイエス・キリストの出来事、十字架と復活である、とパウロは、そしてキリスト教会は語ってきました。

キリスト教においてもさまざまな立場や考え方がありますが、キリストの十字架と復活以外はさまざまにバリエーションがあってよい、ということです。逆にどんなにキリスト教的な装いをしていても、十字架と復活が語られていないとすれば、それは重大な問題である、とキリスト教会は宣べ伝えてきました。