静まりの時
- テーマ:回心
- 聖書箇所:ホセア14・1~7
- 日付:2026年08月05日(水)
1 イスラエルよ。
あなたの神、主に立ち返れ。
あなたは自分の不義につまずいたのだ。
2 あなたがたはことばを用意し、
主に立ち返れ。
主に言え。
「すべての不義を赦し、
良きものを受け入れてください。
私たちは唇の果実をささげます。
罪びとである人間は、自分の不義につまずきます。
人生につまずく、信仰の道につまずく。つまずいてしまって先に進めない。先に進むことを断念してしまう。つまずき倒れて立ち上がれない。その原因は、つまずかせるもの、にあるのですが、そこでつまずかせるものはたいてい、自分の外にあるもの、他者が想定されています。私がつまずいたのはあの出来事が原因だ、あれさえなければ私はつまずくことはなかった。そんなふうに考えることが多いのではないかと思います。しかし冷静に考えてみれば、同じ状況に置かれていてもつまずいていない人がいるのを発見します。どうして自分はつまずいたのか。確かに他者に要因があったかもしれない。しかし原因となるとやはり自分の中にある「何か」だったのではないか。
どんなに良い環境に置かれても、自分の中の自分をつまずかせるもの、自分の不義、が解決されない限り、どこにいっても同じことが起こります。人間は、つまずかせるものを、他者に求め続けているうちは救われることがありません。自分の中の不義と向き合わなければ救いはないのです。
不義とは何か。義、すなわち正しい、ということが、不、すなわちない、ということ。自分の中に正しさがない、倫理道徳的に正しい道に歩むことができないこともあるかもしれない。しかしそれ以上に神さまとの関係において正しくない、正しさが破壊されている。罪によって破壊されている。それが不義です。
神さまの関係が壊れてしまっていること、その自分の中の不義は解決されなければならないのですが、その解決とは、主に赦されること、です。主に赦していただく、ということが、自分の不義を解決することであり、それが私たちに救いをもたらします。主は、十字架と復活によって赦しを語ってくださいました。赦しの「ことば」を語ってくださいました。
では私たちが自分の不義を主に赦していただくためには何を用意しなければならないのか。私たちが用意しなければならないことは、「ことば」であるとホセア書は語ります。神さまの赦しが一方的な愛によるものである限り、私たちが用意できるものは、ことば、以外意外にはないのです。
すべての不義を赦し、
良きものを受け入れてください。
私たちは唇の果実をささげます。
悔い改めのことばは、私たちに、その不義が赦され、救われる道を拓きます。ことばは大切なのです。