どんなときにも御霊によって祈りなさい

静まりの時

  • テーマ:聖霊に満たされる
  • 聖書箇所:エペソ6・10~20
  • 日付:2026年05月29日(金)

18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

「あらゆる祈りと願い」。「祈り」と「願い」をパウロはしばしば区別をして表記します。祈りは願いのことであると思いますが、その二つが区別されるということは、願いでない祈りについて思い巡らされます。

願いでない祈り。願い、すなわちああして下さいこうしてください、といった願いを含まない祈り。そのような祈りを私たちはささげているだろうか。終始願いばかりの祈りをささげているのではないだろうか。そんなことを考えさせられます。

「どんなときにも御霊によって祈る」。自分の力で祈るのではなく聖霊の助けをいただいて祈る。霊に導かれ、霊に満たされて祈るとはいったいどういうことだろう。霊に満たされて祈るためにパウロは「そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさいと語りました。

目をさましている。それが霊に満たされて祈る者の心構えです。目をさましている、すなわち自分自身を酔わせない、眠らせない。そうしてはっきりとして、責任をもって祈る。それが聖霊に満たされるということです。聖霊に満たされていないと私たちはすぐに何かに酔ってしまいます。

すべての聖徒のために祈る。それが聖霊に満たされた者の祈りの内容です。教会の兄弟姉妹のことを覚えて祈る。公同の教会を信じている私たちは、地域の地方教会のために祈る、世界のキリスト教会のために祈ります。聖霊に満たされていないと、自分のことばかりを祈るようになります。

忍耐の限りを尽くして祈る。それが聖霊に満たされた者の祈りの態度です。どういった時に私たちは忍耐をなくしてしまうのでしょう。もしかすると祈りがなかなか答えられないという現実の中に置かれたときに忍耐をなくしてしまうかもしれません。しかしあきらめず願いを神さまに祈り続ける。飢え渇き、渇望をもって神さまに祈り続ける。私たちはそのように招かれています。聖霊にお頼りしないと私たちはすぐにあきらめてしまうのです。聖霊に満たされた人は祈りにおいて粘り強いのです。