「”正当な目的のためなら、過ちもまた尊い”」ベンは訳した。「プブリリウス・シュルスの言葉ですね。教わった記憶がありますよ」
ロバート・ラドラム、『シグマ最終指令』(下)、(訳)山本光伸、新潮社、2002年11月1日、447頁
不老不死、あるいは老化防止、若返りの技術によって世界をよりよくリードしようとした組織の一人で恩師であった人物と主人公ベンとの会話。
この技術のためには多くの子どもたちや難民たちがその材料として殺されています。主人公ベンはその実態を知り戦っています。
恩師は「正当な目的のためなら、過ちもまた尊い」と主張し、自分たちの行動を正当化しようとします。
しばらく前にちまたでは従軍慰安婦についての発言を巡って様々な議論がなされました。様々な問題が含まれていると思いますが、政治家をはじめ様々なところでエリート的な立場を得ている人の考え方がよく現れているように思いました。正当な目的のためなら、その道のりにおいて、過ちがあったとしても、それもまた尊いことである、ということでしょうか。
そのような理念で行われた行動は決して良い実を結ぶことはないと私は思います。一事が万事という言葉がありますが、政治姿勢のすべてが物語られているようにも思えます。人間はどこまで行っても罪人です。その罪を赦すために(許すではなく)主イエスさまはこの地上に来てくださいました。
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