さらに、彼らはキリストが持たれた全き心を獲得しようと精進し、あらゆる点で彼らの愛する主のように歩む努力をしたのです。
コリント人への手紙第1、12章31節
2013年6月2日(日)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
167頁
キリスト者には二つの生き方があるといいます。一つはいわゆるキリスト者としての徳のある生き方です。今一つはそこからさらに一歩進んで主の全き心を求め、主のように歩む努力をする生き方です。
実は私はキリスト者はみな主のように歩む努力をすべきであると考えています。ですから二つの生き方があるということはあまり思えません。
それはそうとして、主のように歩む努力、「努力」という言葉はあまり好まれることばではないと思います。しかし聖書を読んだり、礼拝にやってきたり、霊的な思索をしたりという営みはやはり「努力」なのではないでしょうか。もちろんそれはつらい努力ではなく、喜びの努力です。
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