あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです

静まりの時 マタイ6・19~21
日付:2024年02月23日(金)

19 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。

 あなたの宝。その大切なもののあるところ、その場所に、あなたの心もある。あなたの大切な心もある。
 私の大切な心をどこに置くのか。その置き場所によって、心のありようが変わる。できるだけ健やかな心で生きていきたいものです。心の持ちよう、などといわれることもありますが、聖書は、心をどこに置くのか、どこに蓄えるのかによって、違ってくると語っているようです。
 置く、蓄えるということは、自分の手から離して委ねることです。お金を銀行に預ける、蓄える、ということも、実際には、自分の手から離して、銀行に委ねることです。考えてもみれば、恐ろしいことです。預けた途端、硬貨も紙幣も自分の手にはありません。行員から手渡された通帳に数字が書いてあるだけです。あるいはATMが機械的に打ち出した文字になっているだけです。私たちは、それを信じるしかありません。明日銀行に行って、そこに銀行自体が無くなっていたらどうするのか。
 私の預けた財産が、その銀行でどのように保管されているのか。ゆるゆるの銀行で、管理の悪い倉庫や、だれでも侵入できるようなところに放置されているとすれば、心配で仕方ありません。しっかりとした管理がなされ、信用のおける行員がいて、厳重に管理された金庫、簡単には他者の侵入をゆるさない金庫に保管されているのならば、安心です。

 それと同じように、私の心、をもし地上に置いてしまっていたら、世間の荒波にもまれ、風雨にさらされ、盗人に盗まれてしまい、変質し破壊されてしまいます。もう自分の心が自分のものでなくなってしまいます。自分が自分で亡くなってしまうのです。自分が消滅してしまいます。
 ですから、自分の大切な心は、一番安心なところ、神さまの御手の中に置きましょう。天の御国に置きましょう。
 私の心は、だれにも浸食されない神さまの御手の中にある。そうしてこそ自分らしく幸福な人生を生きることが出来る。
 自分の心を地上に置いていたときは、誰かと比較し戦々兢々としなければなりませんでした。自分の心を守るために、必死で戦わなければなりませんでした。外敵に対しては、強靭な壁を築き、自分の戦闘能力で防禦しなければなりませんでした。戦わなければならないのは、外側からの敵だけではありません。内側からの、虫やさびによる変質が起こります。罪が、自己中心が、自分の心を変質させます。こんな自分ではなかった、となってしまう。
 しかし、神さまの御手の中に置くならば、もう安心です。あらゆる戦いから解放されました。ただ神さまに仕えるだけの人生としていただけます。自分の心を守るために、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配する必要はありません。

 私の大切な心を、神さまの御手の中に置くために、私の心のある「宝」も、神さまの御手の中に置きましょう。私の大切な宝を見て、それも神さまの御手の中にあると信じましょう。財産もそうですが、愛する家族も、自分のいのちも、自分の過去も現在も将来も神さまの御手の中にあることを信じましょう。「そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。」