花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。

静まりの時 マタイ9・14~17
日付:2024年02月14日(水)

14 それから、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「私たちとパリサイ人はたびたび断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか」と言った。
15 イエスは彼らに言われた。「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。そのときには断食をします。
16 だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんな継ぎ切れは衣を引き裂き、破れがもっとひどくなるからです。
17 また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば皮袋は裂け、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れます。そうすれば両方とも保てます。」

 このヨハネの弟子たちから投げかけれられた質問から想像すると、イエスさまたちはいわゆる「断食」をしておられなかった、少なくとも人びとに知られる形では行っておられなかったことが推測されます。
 なぜイエスさまたちは断食されなかったのか。

「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。」

 まずここに断食の目的が「悲しむこと」にあることが明らかにされています。

 なぜ断食をするのか。願いを聞き入れていただくための断食もあったと思いますが、もともとは悲しむためです。何を悲しむのか。愛する者の死を悼む悲しみもあります(第2サムエル1・12ほか)が、何よりも自らの罪を悲しむために断食をしました(ネヘミヤ1・4ほか。
 自らの罪を悲しむために神さまの前に食を断つ。それは十字架を深く覚えることであり、神さまの愛を心と身体に刻むことです。

 カトリック教会などでは今日が灰の水曜日ですので、今日から四旬節が始まり、断食の時期に入ります。カトリック中央協議会のWEBサイト(https://www.cbcj.catholic.jp/faq/lent/)によると、

断食については、現在では完全に食事を断つというよりも、十分な食事をひかえることと考えられていて、以下のように「大斎・小斎」があります。大斎と小斎を守る日は灰の水曜日と聖金曜日(復活祭直前の金曜日)、小斎を守る日は祭日を除く毎金曜日です。

【大斎】
1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。


小斎】
肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。

(大斎も小斎も、病気や妊娠などの理由がある人は免除されます)

 と説明されていました。プロテスタントには、このような明確な決りはありませんが、イースターに向かうこの時期、あまり華やかなことは慎むのがよいかもしれません。実際そのようにする教会もありますし信仰者もおられます。花婿であるイエスさまが取り去られるときである十字架の季節をこのように過ごすことは、イエスさまのおことばに従っての信仰のあり方だと思います。

 さて、そのことを十分に理解した上でイエスさまのおことばに思い巡らせたいと思います。

「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。」

 「花婿が一緒にいる間」。花婿であるイエスさまが一緒におられる。その信仰に生きる私たちは、悲しみではなく喜びに生きる者です。イエスさまがともにいて下さるのですから、悲しんでなどいられない、喜びが満ちあふれている。それがキリスト者の信仰生活です。「だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません」「人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません」。イエスさまがともにいて下さる喜び。その新しさに、私たちは生かされています。

 先日の役員会でお伝えしたのですが、この春に英国とドイツを旅しようと計画を立てています。学生の時に信仰をいただいたのですが、そのときに導いていただいた宣教師ご夫妻を訪ねることが英国に行く主な目的です。ご高齢になられて、いくつかのご病気を得つつ、ロンドン郊外で生活をされている先生をお訪ねして一言感謝を申し上げたいと思い立ちました。

 いまから40年前。小さな教会の宣教師としてご奉仕されていました。私はひょんなことで教会に通うことになりました。日曜日の礼拝後には15人ほどが集っていました。礼拝後は毎週持ち寄り(ポトラックという言葉をそのとき初めて聞きました)で食事をし交流の時を持ってくださいました。私は毎週“小僧寿し”を買って持っていきました。
 多くの教会では水曜日の夜に祈祷会が行われていると思いますが、当時その教会の集いは日曜日だけでした。それもあってか水曜日の夜には学生たちを毎週ご自分のアパートに招いてくださいました。そして食事をごちそうくださいました。遠慮知らずでしたので、お言葉に甘えて毎週お訪ねしていました。宣教師宅ですから、けっして豪華な食事ではありません。しかし心が満たされる豊かな食卓でした。
 信仰のお話もたくさんしていただきました。それと共に三人の子どもさんがおられたのですが、食後に当時NHKで放送していた“連想ゲーム”を観たり、“ウノ(UNO)”というカードゲームを楽しんだりと、大変楽しく有意義な時を過ごさせていただきました。いまから思うと大きなご労をかけていたのではないかと思います。
 牧師になってからは、たびたび魚釣りにキャンプ場に誘ってくださいました。リタイアの時期を迎えて帰国される際には、神学書ではなく“ウェーダー”をプレゼントしてくださいました。魚釣りの道具ですね。母国に帰国後されてからはご病気のこともおぼろげにうかがっていましたがあまりやり取りはありませんでした。お訪ねできれば幸いと思いつつも、私の病気もありかなわないことと思っていたのですが、ひょんなことで先生たちをお訪ねする道が開かれることになりました。実際に会うことが可能な状態かどうかは、まだ不明なところもありるようですが、子どもさんたちは大丈夫といってくださったとのことなので、お訪ねして来ようと思います。ついでにといっては何ですが、私たちの教会を生み出してくださったWECの本部もお訪ねし、毎日行われている祈り会にも参加して来ようと思います。目的地はいずれもロンドン郊外です。

 40年前、先生たちのアパートで囲んだ食卓には確かにイエスさまがともに着いていてくださいました。

「主イエスはわれわれの食卓の見えざる客であり、われらの食卓の会話に耳を傾けておられる」。

 キリスト者の家庭や学校などの食堂によく掛けられていることばでしょう。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品である『最後の晩餐』が描かれているのは、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂です。修道院の食卓ですから、静かな食事だったと思いますが、それは決して堅苦しいものではなく、真実の喜びが満ちあふれたものだったのだと思います。
 私たちもさまざまに食卓を囲みます。その場その場にイエスさまがともにいて下さいます。悲しんでなどいられません。喜びと感謝の宴(うたげ)なのです。