静まりの時 エペソ5・6~14
日付:2023年10月13日(金)
8 あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。
9 あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。
10 何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。
(エペソ5・8~10)
イエスさまにお出会いする前の自分は「闇」であったと言います。暗やみの中を歩んでいた、ということでもありますが、自分自身が闇であった、光が自分の中にはなかった、というのです。しかし主にお出会いし、主に結ばれて(新共同訳)光とされました。イエスさまは、あなたがたは世の光である(マタイ5・14)と言ってくださいました。イエスさまにある、イエスさまに結ばれているならば、光とされているのだ、なぜなら、イエスさまこそまことの光(ヨハネ1・5,9)だからです。
以前は闇であった私が、まことの光であるイエスさまと結ばれて、今は光とされている。そうであれば、光の子どもとして歩もう、光の子どもらしく歩もう、と語ります。
「あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。」(9)
新共同訳では「光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」。共同訳2018では「光の結ぶ実は、あらゆる善と義と真理との内にあるからです」。善、すなわち善いこと、善い心、思い。義、すなわち正しいこと。真理、すなわちほんとうのこと、嘘偽りのないこと。もしこれらが欠けているような人生であるならばなんと虚しいことでしょう。どんなに豊かになり、世から称賛を浴び、立派と褒められても、そこに善、義、真理がないならば、本当に豊かな人生なのではありません。からっぽの人生なのです。
光の子どもとして歩むところに、善、義、真理が生じるのです。あるいは光のこどもとして歩んでいることによって結ばれていく実がある、その実とは、善、義、真理の中にある、というのです。
私たちは罪赦されて光の子どもとなりましたが、自動的に光の子どもらしく生きられることではありません。どのような生き方であっても、それが光の子らしいと認められていることでもありません。「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい」。吟味しなければならないのです。吟味して生きる、そこに光の子どもらしく生きる道が開かれ、善、義、真理という、私たちの人生を本当の豊かさで満たす実が結ばれていくのです。
今私が語ろうとしていること、行おうとしていること、それがイエスさまに喜ばれることであろうか、イエスさまは傍らにいて、私の為そうとすることを喜んでいてくださるだろうか、と。イエスさまの喜びに生きることが、私を本当に生きること、私の人生の充実なのです。