静まりの時 詩篇25・8~14
日付:2023年07月14日(金)
主は貧しい者を正義に歩ませ
貧しい者にご自分の道をお教えになります。
主の道はみな恵みとまことです。
主の契約とさとしを守る者には。
(詩篇25・9,10)
他の訳では
主は苦しむ人を公正に導き
苦しむ人に道を教える。
主の契約と定めを守る者にとって
主の道はすべて慈しみとまこと。
(共同訳2018、詩編25・9,10)
新改訳2017で「貧しい者」と訳された言葉は、共同訳2018では「苦しむ人」と訳されています。また新改訳2017で正義と訳された言葉は、共同訳2018では「公正」と訳されています。この節は新共同訳では「裁きをして貧しい人を導き」と訳されていて、正義に歩ませること、公正に導くこととは、神さまの裁きによってなされることである、と理解できるでしょうか。いずれにせよここでの正義や公正とは、人間がそれぞれに考えているものではなく、神さまがお考えになっているものということでしょう。
「ご自分の道」「主の道」を教えてくださる神。貧しい者、苦しむ者は、主の道を知りません。主の道を知らない貧しさ、主の道を知らないことからくる苦しみ。そのような者を、神さまは導いてくださる。恵み、慈しみとまことの道に歩む者と造り変えてくださる、というのです。
「主の契約とさとしを守る者」。それは律法を守る、聖書の教えを守るということでしょう。主の御心に生きる、ということでしょう。11節を見ると自分が罪びとであるということを知り告白する人、12,14節からは主を畏れる人とも理解できます。そういう者にとっては、主の道はすべて恵みとまことである、といいます。
これは、主の契約とさとしを守る者には、具体的に恵みとまことの道が与えられる、ということかもしれませんが、それだけでなく、主の契約とさとしを守る者にとっては、どのような道、ときに恵みとまことの道の正反対のようないばらの道であっても、恵みとまことの道なのだ、とも理解できるのではないかと思います。
どんなに恵みとまことの道に見えても、神さまの御心を大切にしていないならば、それは本当の恵みとまことの道ではないのです。逆にいばらの道であっても、神さまの御心に生きる者には、その道こそ恵みとまことの道なのです。
昨日は三か月に一度の診察日でした。心電図と胸部レントゲンの検査がありました。いずれも可もなく不可もなく、つまり良好でした。心電図は、心臓の壊死の特徴を明確に表しているのですが、以前と同じ。胸部レントゲンも、以前のものと見比べてみましたが変化なしでした。心不全が進行すると、心臓が丸く肥大したりするそうですが、とりあえずそれはなし。心不全により血液の流れが悪くなり、その影響で肺に影ができていくそうですが、今のところありませんでした。いつもの通り主治医とは世間話をし、後ろで看護師さんが笑っておられる、という状況のなかでの診察でした。感謝です。
病院のあといただいた処方箋をもって病院の近くの薬局に行くのですが、薬の量が多いのでいつも一時間以上かかります。ためしに今回は教会の近くの薬局に行くことにしました。20分で済みました。工夫はしてみるものですね。
大沢たかお主演の『風に立つライオン』を、室内自転車のお伴に区切り区切り観ているのですが、アフリカで医療活動に従事する人たちの姿が感動的に描かれています。以前にも書きましたが、約20年前、国際飢餓対策の関係で、バングラディシュとインド・コルカタを旅したときに出会った現地で懸命に医療活動に従事する人たちの姿が重なりました。