静まりの時 第一コリント1・4~9
日付:2023年06月30日(金)
主はあなたがたを最後まで堅く保って、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところがない者としてくださいます。神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。
(第一コリント1・8,9)
主イエス・キリストの日とは、最後の審判の日ということであり、再臨の日のことだと思います。終わりの時、ということでもありますが、それは最終的な帳尻合わせの時であり、報いの時でもあります。いまという時は、そのような日に向かっている時である、と聖書は語ります。
パリのノートルダム大聖堂が数年前に火災にあいました。現在復旧に向かって作業が続いているとNHKで放映されていました。困難な作業のようですが、エキスパートたちが懸命の努力を注いでいます。労する人たちはみな、大聖堂が修復された時の輝かしい姿を思い描いています。今の目の前の作業は、すべてのその輝かしい大聖堂の完成の日に結びついています。がれきを撤去し、石を積み上げ、槌を打つ。そのすべてが完成の日に結び付いているのです。
私たちの日々の営みも、ただ漠然とその時間を過ごしているというのではなく、すべて時間が主イエス・キリストの日に向かっている時間なのです。日々の生活を整えること、与えられた職務を果たすこと、家族や友人たちとの語らい、人生の学び、すべてが、最後の審判の時に向かっている大切な時なのです。いつ再臨の主イエスさまがやって来られても、晴れやかに天に帰っていくことができるようにと、今の時を大切に過ごしたいと思います。
晴れやかな心でその日を迎えることができるのは、ただ主の十字架と復活によることです。主が、私たちを最後まで堅く保ってくださるのです。主の日に責められるところがない者と、主がしてくださるのです。大安心です。
神さまは真実なお方です。その真実な神さまご自身が私たちを召して下さいました。呼び出し、招き入れて下さったのです。
召された目的は「神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わり」に入れられることです。信仰を持つということは、主との交わりの中に入れていただくということです。信仰生活は、主との交わりなのです。そのような交わりに、私が自力で入ったのではありません。ひたすらご真実な主御自身が、招き入れてくださった。私がこうして神さまを信じているということは、真実な神さまの御業、奇跡である、というのです。
主の日に向かって今の時のすべてがある。その今を大切に過ごすために、なによりも、主の交わりに生きること。主との交わりに生きる瞬間瞬間が積み重なって、再臨の日への備えがなされていく。今日もそのような主との交わりの一日です。
教会生活が始まると、教会用語に戸惑いつつも慣れていきます。そのような教会用語の一つにこの「交わり」があります。日本語で交わりというとさまざまに想像が走ってしまいますが、ギリシャ語では「コイノニア」と言い、交わり、交際、という意味とともに、分け前にあずかる、とか、共有するとか、といった意味でも使われます。聖餐式の机を、コミュニオンテーブルというのですが、それは、兄弟姉妹の交わりであるとともに、それに先立ち、主との交わり、を現しているのだと思います。教会において、交わり、といったとき、それは主との交わりのことであり、また主との交わりが土台となった兄弟姉妹との交わりのことなのです。単なる世代間交流とか懇親会ということとは、全く違うものです。
今度の日曜日は、聖餐式が再開されて二回目の聖餐礼拝の日となります。主との交わりをいただいて新しい一週間に出発したいと思います。
妻力作のトッポンチーノ。