静まりの時 ネヘミヤ8・4~8
日付:2023年05月13日(土)
4 学者エズラは、このために作られた木の壇の上に立った。彼のそばには、右手にマティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが立ち、左手にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが立った。
5 エズラは民全体の目の前で、その書を開いた。彼は民全体よりも高いところにいたのである。彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。
6 エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな両手を上げながら「アーメン、アーメン」と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した。
7 ヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどレビ人たちは、民に律法を解き明かした。その間、民はその場に立っていた。
8 彼らが神のみおしえの書を読み、その意味を明快に示したので、民は読まれたことを理解した。
(ネヘミヤ8・4~8)
「このために作られた木の壇」。今日でいうと講壇でしょうか。エズラはその上に立って聖書を朗読しました。「彼は民全体よりも高いところにいた」。それは講壇に立ったからだと思いますが、この高さはそれだけではないかもしれません。「民はみな立ち上がった」とあります。御言葉が開かれると、人間は座ってはいられなかった、ということでしょう。エズラの賛美に合わせて、民は心を一つにして神さまを賛美し、礼拝しました。
レビ人たちが、解き明かし(説き明かし)をします。その間も民はその場に立っていました。彼らの説明は明快でした。民はことごとく理解しました。
こうして捕囚からの期間後、最初の礼拝が行われました。
エズラが朗読する間、エズラの左右には合計11人が立っていました。エズラを合わせて12人が前に立っています。民はエズラの朗読する聖書の言葉に耳を傾けたのですが、それはエズラ個人から語られる言葉ではなく、民を導いてこられた神さまご自身からの言葉そのものでした。
使徒の働き2章には、聖霊降臨の後にペテロが語りだす場面が記されています。
「ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。『ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。」(使徒2・14)
ペテロも11人とともに立ちました。それはペテロ個人の言葉ではなく、教会の言葉として語られたからです。
長老派の教会によっては、講壇を囲むように長老席を置いているところがあります。あるいは講壇の背後に椅子が置かれていて説教中そこに長老が座っているという礼拝もあります。カトリックなどでは司祭の説教中に左右で祈っている、ということもあるようです。
それぞれに意味があるのだと思いますが、いずれも講壇から語られる言葉は、説教者個人の意見が語られているのではなく、教会が語っている、二千年の教会が語る言葉である、との理解、あるいは願いがあるのだと思います。
エズラは、新改訳では「学者」、共同訳では「書記官」と訳されていますが、福音書に記されている律法学者につながっているようです。いつの間にか律法主義に陥り、神さまから遠く離れてしまうことになりました。この最初の礼拝の心を忘れてはならないのだと思います。