静まりの時 イザヤ45・2~7
日付:2023年04月25日(火)
5 わたしが主である。ほかにはいない。
わたしのほかに神はいない。
あなたはわたしを知らないが、
わたしはあなたに力を帯びさせる。
6 それは、日の昇る方からも西からも、
わたしのほかには、だれもいないことを、
人々が知るためだ。
わたしが主である。ほかにはいない。
7 わたしは光を造り出し、闇を創造し、
平和をつくり、わざわいを創造する。
わたしは主、これらすべてを行う者。
(イザヤ45・5~7)
「あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。」(5)。
この「あなた」は、1節を見ると「油注がれた者キュロス」のことであることが分かります。キュロスはペルシャの王(第二歴代誌36・22)で、イスラエルを解放した異邦人の王です。異邦人、つまり異教徒なのでまことの神さまを知りません。
しかしそのまことの神さまを知らないキュロスに、神さまは「力を帯びさせる」と言われました。そうしてイスラエルを解放すると言われたのです。
神さまは信仰篤い人を用いることができますが、信仰の無い人も用いることがおできになります。信仰がなくても神さまに用いられるということをいいことに、信仰がなくてもよいのだ、ということではありません。信仰は篤いほうがいいに決まっています。神さまは私たちの信仰をお求めになり、そうしてご自身の行おうとしてくださる愛のお方です。
しかし神さまは、私たちの信仰が篤くなければ何の御業もなさることのできないお方ではありません。そのような不自由というか制限のあるお方ではないのです。神さまは全能のお方です。何でもできるのです。ですから信仰の全く関係のない存在を、神さまは豊かに用いることができるのです。
その目的は、「わたしが主である。ほかにはいない」ということを、キュロスをはじめ、世界中の人びとが知るためである、と神さまは言われました。人間が主なのではない。神さまが主なのだ、ということを世界が知るため、と言われるのです。神さまこそ、光と闇、平和とわざわいを創造されるお方なのだ、とすべての人間が知るためである、と言われるのです。
私たちは圧倒的に未信者、すなわち神さまを知らない人たちの中に暮らしています。朝起きて電灯を灯すことができるのも、電力会社で働いていてくださる方がおられるからです。安心、安全に日々を暮らすことができるのも、多くの方々の努力と働きがあってのことです。その中にはもちろんキリスト者も大勢おられるかもしれません。しかしそうでない方が圧倒的多数なのではないでしょうか。神さまはそのように神さまを知らない人たちに「力を帯びさせて」おられるのです。その目的は、すべての人が、自分が主なのではない、神さまが主なのだ、ということを知るためであると聖書は語るのです。
それは、キリスト者が主なのだ、ということではありません。つまりキリストを信じていない人たちに向かって「神さまこそ主なんだぞ」と高慢になってはいけない、ということです(笑)。キリスト者こそ真っ先に自らが主ではない、主は神さまだ、ということを知らされている者たちですから、この世にあって誰よりも謙遜に、自らを主としない生き方を送らなければなりません。神さまを信じていない人びとは、キリスト者がまことの神さまのみを主とし自らを主としないその姿を見て、神さまこそ主であるのだ、ということを知るのです。
教会も多くの人たちによって支えられています。キリスト者でない方々の支えや励ましもたくさんいただいています。未信者の家族の配慮によって信仰生活が守られています。私もおそらくキリスト教とは無縁の主治医や看護師さん、薬剤師の方に支えられています。その恵みに感謝したいと思います。
昨日は団体の一つの教会の不動産購入に際して、県からの現地視察が行われました。視察の結果、無事前進することになりました。申請と添付資料の提出が先週の月曜日でしたから、約一週間で目途が立ったことになります。視察を終えて県の方と立ち話をしている中で、団体の宣教の歴史などもお話しすることができました。教会の宣教師の先生や協力している教会の信徒の方も来られていました。県の方が帰られた後、最後に一緒にお祈りしました。この場所が福音宣教の前進のために、地域社会の祝福のために用いられますように、と。視察に来てくださった県からのお役人さんは二年前の別の教会の不動産取得でもお世話になったかたでした。ここにも小さな(と言っては失礼ですが)キュロスさんがおられるんだなと思い返し、神さまに感謝しました。
今日は団体の理事会がオンラインにて行われます。団体諸教会の祝福と福音の前進のために祈ります。