静まりの時 2022年12月29日(木)
詩篇145・1~21
7 人々はあなたの豊かないつくしみの思い出を
あふれるばかりに語り
あなたの義を高らかに歌います。
8 主は情け深くあわれみ深く
怒るのに遅く恵みに富んでおられます。
9 主はすべてのものにいつくしみ深く
そのあわれみは
造られたすべてのものの上にあります。
10 主よあなたが造られたすべてのものは
あなたに感謝し
あなたにある敬虔な者たちは
あなたをほめたたえます。
(詩篇145・7~10)
「あなたの豊かないつくしみの思い出」。イエスさまを信じる者は、神さまとの交わりの中で与えられた思い出をたくさんいただいています。それらをあらためて思い巡らします。それらを「あふれるばかりに語り」ます。そうして神さまの「義を高らかに歌います」。
神さまの愛、いつくしみが「造られたすべてのものの上にあります」。私たちは神さまに造られたものです。そしてこの世界の全ても神さまの御手によって造られました。造られたものである、ということと、その造られたものの上に神さまの愛の御手がある、ということとは一つのことでしょう。神さまは全能のお方ですから、その創造に失敗や気まぐれはありません。また無駄なこともないのです。私自身もまた世界のすべても、神さまによって造られたという信仰告白は、今日も神さまの愛の御手の中に歩むことが出来る、という喜びを生み出します。
「あなたにある敬虔な者たち」。敬虔という言葉は、ちょっと難しい言葉です。広辞苑によると「うやまいつつしむこと。特に神仏に帰依して、つつしみ仕えること」とありました。新改訳第3版や口語訳聖書では「あなたの聖徒」。新共同訳では「あなたの慈しみに生きる人」。敬虔に生きるということは、神さまの愛に生きる、生かされるということなのだと思います。
この詩篇145編は、新共同訳や共同訳2018には「アルファベットによる詩」と書かれています。
ヘブル語のアルファベットの文字で始まる、いわゆる数え歌なのです。例えば「いろは・・・」の数え歌は「(い)犬も歩けば棒に当る」、「(ろ)論語読みの論語知らず」・・・。というように。
以下の写真がヘブル語のアルファベットなのですが、
詩篇145編のべブル語テキストは以下のとおりです。各節の最初の文字が、順番にアルファベットの文字になっているのがおわかりでしょうか。
ここで、あれっ、と思うのですが、ヘブル語のアルファベットは22文字です。この詩篇145編は21節です。14番目に「ヌゥン」という文字で始まる節が来るはずですが、14節は15番目のアルファベットである「サァメク」の文字で始まる節となっています。つまりヘブル語アルファベット14番目の文字「ヌゥン」で始まる節がないのですね。それで数え歌と言いつつも、21節となっているのです。
フランシスコ会訳をお持ちの方がおられるでしょうか。
13節と14節の間に、他の多くの訳にはない以下の文章が書かれています。これが「ヌゥン」で始まる節のようです。
「主の語られることはすべて真実、行なわれることもすべて誠実」(詩編145・13b、フランシスコ会訳)。
この説明として、フランシスコ会訳の欄外注に「一つの写本と古代語訳は13節の後に「ヌン」の文字を冒頭にする節をもっている」と書かれています。この「ヌン」は、上記文法書の「ヌゥン」のことです。
ながながと書いてしまいました(笑)。とにかくこれは数え歌である、ということですね。詩篇にはほかにもこのような数え歌がたくさんあります。数え歌になっている理由はいくつもあるかもしれませんが、きっと、口ずさみやすい、ということでしょう。「思い出」(7節)という言葉も最初に考えましたが、神さまのとの思い出を数え歌として口ずさむ信仰生活。唇には賛美ですね。
「私はあらゆるときに主をほめたたえる。
私の口にはいつも主への賛美がある。」(詩編34・1)
毎年恒例ですが、この時期、団体の先生方の年末調整作業を行っています。おおよそ目途がたちました。仕組みを知ればそれほど難しいことではありませんが、最初はずいぶん時間がかかっていました。小さなことにも忠実に、ということで、不十分ではありますが、教会であり奉仕者も、この社会にあってしっかりと責任を果す存在でありたいと願っています。
小学生の時にそろばんを習わせられたのですが、どうやってさぼろうかとばかり考えていたようなことだったので、とりあえず2級を取った時点でやめさせていただきました(笑)。この時いただいた賞状(証書?)の最後のところに中曽根康弘となっていて、この人有名な人ですよね。確か第一次田中角栄内閣の時の通産大臣(通商産業大臣)だったとか。もちろん直接この方が書いてくださったわけではないと思いますが(笑)。もう今となってはできませんが、暗算はちょっと得意でした。キリスト者になる前でしたが、友人たちと酔っぱらっていた時、最後に割り勘することになって、集まったレシートを合計してそこにいた者で割るという計算が、ちょっと酩酊状態でしたが、計算機とピタッと一致しました・・・。ということが関係しているか分かりませんが、年末調整作業も団体会計も、ちゃんとできているかどうかはともかく、あんまり苦ではないのですね。感謝なことです。