学んで確信したところにとどまっていなさい

静まりの時 2022年12月09日(金)

第2テモテ3・10~17

12 キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

13 悪い者たちや詐欺師たちは、だましたり、だまされたりして、ますます悪に落ちて行きます。

14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、

15 また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。

16 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

17 神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。

(第2テモテ3・12~17)

「しかしあなたは、私の教え、生き方、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、また、アンティオキア、イコニオン、リステラで私に降りかかった迫害や苦難に、よくついて来てくれました。私はそのような迫害に耐えました。そして、主はそのすべてから私を救い出してくださいました」(10,11)。

使徒パウロは、若い伝道者テモテに向かって、自分に「よくついて来てくれた」と語っています。たやすいことではなかったであろう、迫害や困難の中にも良くついて来てくれた、それだけではない、私の教え、生き方、について来てくれた、計画、信仰について来てくれた、寛容、愛、忍耐について来てくれた、と語ります。

パウロは感謝しているのだと思います。また感謝とともに、そのようなテモテの歩みがテモテ自身にも大きな力を生み出すことになった、そのような経験は、今の苦しみを乗り越える力となる、と語るのだと思います。

テモテは、ひたすらパウロに従うという生き方をしました。そこで培われたものが、今のテモテの力となる、とパウロは語るのだと思います。テモテは何らかの迫害の中にあるのでしょう。その迫害の中にも生きることのできる力は、今までの生きざまによって育まれている、というのだと思います。

その上で、パウロは語ります。

「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(12)。

迫害を受けるということは、敬虔に生きよう、すなわち神さまを第一にして生きようとする者にとっては、あたりまえのこと、普通のこと、ノーマルなことなのだ、と語ります。いたずらに恐怖することでもなく、それによって自己憐憫や自己卑下に陥る必要もない、否定的に考えることもない、ということでしょう。

「悪い者たちや詐欺師たちは、だましたり、だまされたりして、ますます悪に落ちて行きます」(13)。

これはどういう意味でしょう。「悪い者たちや詐欺師」とはここではテモテやテモテの仕える教会を迫害している人たちのことでしょう。テモテの気持ちは嵐のようにかき乱される日々であったと思いますが、彼らは自滅していく、とパウロは語っています。腐敗した土台の上に家を建てようとしても、歪みや欠陥は、その都度、対処をしてくことになるので、整合性がなくなり、結局、高く建て上げれば上げるほど危険な建物となり、自らの重みで崩壊してしまいます。テモテに、安心して神さまに委ねていればよい、とパウロは語るのだと思います。

ではテモテはそのような嵐のような心の中で、何に心を向ければよいのか。パウロは、「学んで確信したところにとどまっていなさい」「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます」「神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです」と語りました。

テモテが信仰を学んだ最初は、その母からであり祖母からでした(1・5)。信仰の成長の中では、パウロをはじめ使徒たち、そして何よりも教会において学んできたのです。そこにとどまっていればよい、というのです。

また何よりも聖書にとどまっていればよい、と言いました。この場合聖書とは、旧約聖書のことでしょう。旧約聖書は、キリストの十字架と復活の出来事をもって読む時、読む者に豊かな福音を語ります。

こうして、神の人、すなわち奉仕者たち、教会に仕える者たちは、その良い働きをするのにふさわしい者として、十分に整えられた者となるのだ、と語りました。

さまざまな苦しみの中で、キリスト者がなすべきことは、ひたすら聖書に、そして聖書の教えにとどまることなのですね。キリスト者の信仰の戦いは聖書にとどまることの忍耐によって進みます。そして教会の歴史が語るように、そこに生きた先輩のキリスト者たちが語っているように、この忍耐こそ、勝利の道なのです。

米が切れていて、その日に届くことになってはいたのですが、どうしようかと思っていたところ、息子が、お父さん、ここにあるで~、と米の袋に少し残っていた米を見付けてくれました。それで寝る前に炊飯をセットして寝たのですが、あくる朝、何やら炊飯器の周りに糊状の物質があふれています。ということで、もち米でした。お父さん、なんか、ねばねば、もちもちしているな~、と。まあ比較的おいしくいただきました。私と息子は元気にしています(笑)。妻も落ち着いて来ています。お祈りありがとうございます。