いつくしみの約束

静まりの時 2022年12月01日(木)
エレミヤ33・12~16

「見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの約束を果たす。その日、その時、わたしはダビデのために義の若枝を芽生えさせる。彼はこの地に公正と義を行う。その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの都は『主は私たちの義』と名づけられる。」
(エレミヤ33・14~16)

 「義の若枝を芽生えさせる」。すなわちイエスさまがこの地にご降誕くださる、とエレミヤは預言しました。その時代、その日、その時、がいつであるのか、この時点ではだれも分からなかったのですが、今から二千年の昔、ユダヤのベツレヘムに、神の子はお生まれになりました。神の子イエスさまは、この地に「公正と義」を行って下さいました。イエスさまによって、私たちは救われ、安らかに住むことが出来ます。「主は私たちの義」とうたいつつ暮らすことが出来ます。

 「わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの約束を果たす」。「いつくしみの約束」。共同訳2018では「恵みの約束」。神さまの約束の言葉は揺るぎません。必ず成し遂げられるのです。それはいつくしみに満ちたものであり、愛そのものです。その神さまの約束はまた恵みであり、また公正、義でもあるのです。
 愛が恵みである、ということ。恵みとは、私の行為に対する報酬としてではなく、一方的に与えられるということです。愛はそのようなものです。もし愛が、私の行為に対する報酬として与えられるものであれば、それはもはや愛ではありません。いつくしみ、愛は、恵みでなければならないのです。
 人間の愛には、この点でつねに限界を持っています。それは愛の行為者が意図的であるかないかにかかわらず、愛の行為は、それが人間の行為である限り、この限界を持っているのです。かといって、この限界を越えた愛に生きようとすれば、偽りの愛になってしまいます。だから人間は、愛するにおいて、いつもこの限界を持っていることをわきまえていなければなりません。それが健やかな愛に生きる道です。

 神さまの愛と恵みの中にあることを今日も感謝して一日を歩みます。今日から12月。主のご降誕を共に祝う季節。よいクリスマスを過ごしたいと思います。