わざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの

静まりの時 2022年11月26日(土)

エレミヤ29・4~14

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」

(エレミヤ29・11~13)

11節は、新共同訳、共同訳2018でそれぞれ以下の通りです。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(新共同訳)

「あなたがたのために立てた計画は、私がよく知っている――主の仰せ。それはあなたがたに将来と希望を与える平和の計画であって、災いの計画ではない。」(共同訳2018)

主は、捕囚に会うイスラエルの民に、大丈夫、そこでしっかしと生きていきなさい、異教の地だからといって恐れる必要はない、神の民が支配されるからといって恥じることはない、家を建てて住み、果樹園を造って、生活を立てなさい。家族を形成して増えていきなさい。さらには、その異教の町のために平安を祈りなさい、その町の祝福を祈りなさい。あなたがたはどのような場所にあっても、どのような状況にあっても、わたしの大切な民である。あなたがたがこの地にあって祝福の基なのだ。天の祝福はあなたがたを通して地にもたらされるのだ、ひたすらしっかりとその町の平安を祈りなさい、と預言者エレミヤを通して語られました。

偽預言者は、主の名を利用しながら偽りの平安を語っている、真実をごまかし、民の目を見えないようにし、束の間の平和に誘おうとしている、と語ります。そのような言葉に耳を傾けてはならない、聞き従ってはならない、と主は重ねて語られました。

主は、私たちのためにお立てになったご計画を、よくご存じです。成り行きや偶然の重なり、あるいは私たちの失敗や足りなさによって起こっていることではありません。主ご自身が、このご計画の立案者であり施行者なのです。そうしてはじめられた主のご計画はわざわいの計画ではありません。平安を与える計画であり、将来と希望を与えるためのものである、と主は言われます。この道の先には、かならず将来と希望がある、主が将来と希望を約束していてくださる、そうして私たちにまことの平安を与えてくださるのだ、というのです。なんと力強い励ましのお言葉でしょうか。

捕囚に会うイスラエルにとってバビロンの時満ちる「70年」は決して短い時間ではありません。当時の平均寿命を想像すると、世代交代が完全に行われることでしょう。バビロンの地で命が尽きることが十分に予想される民がほとんどだったでしょう。しかしイスラエルの民はこのエレミヤを通して語られる主のお約束に励まされ、支えられて、バビロンに向かいました。主は必ず元の場所へ帰らせてくださるとの希望に生きたことでしょう。そうしてひたすら主を求め続けたことでしょう。民がこの時為さなければならないことはただ一つです。心を尽くして主を求めることです。

明日は主の日、礼拝の日です。私たちも、心を尽くして主を求めましょう。「わざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの」と語っていて下さる主にお出会いし、新しい一週間に向かいましょう。

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ウォーキングをしていると、畑にはもう麦が育ちはじめていました。これが実る頃は来年の初夏。収穫を思いながら種は蒔かれたことでしょう。ここにも平安と希望が語られていました。

9月に出かけた教職セミナーでお世話になった会場に「半ズボン」を忘れて帰って来たと連絡があり、お世話してくださった牧師がわざわざ郵送してくださいました。明るく楽しい先生でご自身ご病気と闘いながらも集会中ダジャレとユーモアで皆を和ませてくださった方です。感謝でした。それにしても最近忘れっぽくなって来て、宿泊施設に忘れ物をするようになってしまうほどなんだ、と思いました。まあ、これくらいがいい感じかもしれません。あちらこちらで迷惑をかけながらゆるーく生きていきます。将来には希望と平安があるのですから、安心して生きていくことが出来ます。感謝です。