静まりの時 2022年11月04日(金)
第一テサロニケ4・1~8
神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。あなたがたが淫らな行いを避け、一人ひとりがわきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、そのようなことで、兄弟を踏みつけたり欺いたりしないことです。私たちが前もってあなたがたに話し、厳しく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて罰を与える方だからです。
神が私たちを召されたのは、汚れたことを行わせるためではなく、聖さにあずからせるためです。ですから、この警告を拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたにご自分の聖霊を与えてくださる神を拒むのです。
(第一テサロニケ4・3~8)
聖さにあずかる生活、それがキリスト者の信仰生活である、とパウロはテサロニケの教会に書き送りました。
4節は新改訳では以下のように訳されています。
「一人ひとりがわきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保ち」
これが、新共同訳では以下のように訳されています。
「おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず」
「自分のからだ」の「からだ」と訳されている言葉は、原文では「器(うつわ)」ですが、第一ペテロ3章7節に「妻が自分より弱い器であることを」とあり、「妻」を表す言葉であると理解されることもあるようです。
自分のからだを聖なる尊いものとして保つこと、と、妻を聖なる尊いものとして保つ、ということは、考えてもみれば切り離すことはできず、一つのことですね。「淫らな行い」や「情欲におぼれること」は、自分のからだを汚すと同時に、妻のからだを汚すことなのです。そしてそれはまた「兄弟を踏みつけたり欺いたりすること」になるのです。
テサロニケの教会に起こっていた問題が見えて来るようです。「淫らな行い」「情欲におぼれること」が教会内で起こる、ということがあったということでしょうか。教会に集う兄弟の中にそのような問題行動をとる者がいたということでしょうか。そのような問題行動は、ダムにあいた小さな穴が、次第に大きくなり、やがてダム自体を破壊するように、最初は小さなことから始まるのでしょう。次第にその行動はエスカレートし、気づいた時には、もうどうすることもできないような状態になっている、そうして教会は破壊されていくということでしょう。今日の教会においても、これは決して他人ごとではありません。
家庭生活は大切です。そしてその基本である結婚生活は大切です。結婚生活が聖なるものと保たれるために、教会ではルールが必要です。ときに戒め、や警告が必要なのです。これは単に倫理道徳の問題ではなく信仰の問題です。神さまを信じているのか信じていないのかの問題なのです。この崩れが、教会を破壊するのです。
パウロは、「主はこれらすべてのことについて罰を与える方」である、「この警告を拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたにご自分の聖霊を与えてくださる神を拒む」のだ、と語りました。
妻を人格を持つ者として尊ぶことは、自分自身を尊ぶ者であり、自分を本当に尊ぶ者は、妻を大切にします。そのような信仰生活は、教会全体を祝福に導きます。そして祝福された教会は、またそのような家庭を育んでいきます。
愛は家庭から
マザー・テレサ愛はどこから始まるのでしょう。
家庭からです。
家族がいっしょに暮している家庭から
愛は始まるのです。
子どもたちが、家庭を愛するこころをもてるように努めましょう。
たくさんの時間を家族と過ごすように。
もし人びとがほんとうに家族を愛するならば、
多くの過ちが避けられるでしょう。(『詩画集 日だまりに』、女子パウロ会編、25頁)