静まりの時 2022年10月8日(土)
エペソ6・10~20
「10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。
20 私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」
(エペソ6・10~20、新改訳2017)
信仰生活は戦いである、ということでしょう。戦いのためには武具が必要でしょう。丸腰で戦おうとするならば、負けてしまいます。丸腰で戦場に出ようとすることは、おろかであり、また戦いをなめているのです。信仰の戦いは、武具なしでは戦うことのできない戦いです。
信仰の戦いは血肉との戦い、すなわち目に見えるものとの戦いではなく、目に見えないものとの戦いです。支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、天上にいるもろもろの悪霊との戦いです。すこしオカルトチックですが、罪との戦いと言い換えてもよいかもしれません。私たちがなぜ罪を犯すのか、あるいは私たちはなぜ罪びとなのか。その罪を悪魔の責任にすることではありません。しかしどうして罪びとであるのかの説明は、簡単ではありません。悪魔の誘惑としか言えないようなことなのではないでしょうか。
この戦いをなめてはいけません。すべての人がこの戦いにさらされているのです。勝利のためには、「主にあって、その大能の力によって強められ」なければなりません。そうしてさまざまな武具を手にしなければなりません。さまざまな武具を手にしたとしても、この神さまの大能の力によって強められなければ、その武具は役に立ちません。どんなに素晴らしい兵器を手にしても、それを利用する力がなければなんにもなりません。ダビデがゴリアテとの戦いに備えて、サウル王に鎧を着せていただきましたが、ダビデにはそれが自分の身体にあわなかったので、使い物になりませんでした。ダビデは、普段に使いなれた石つぶてを用います。それを信頼して戦いに臨みました。それは神さまへの信頼、主にあって、大能の力によって強められた者の戦いの方法でした。
信仰の戦いには、なによりも、主への信頼が大切なのです。主が戦って下さる。自分自身は弱い者であるが、神さまがその大能の力によって戦って下さる、そのことを信じて戦いに臨みます。
「大能の力」。これは面白い言葉です。大きな能(力)の力というのです。新共同訳では「偉大な力」、共同訳2018では「大いなる力」と訳されていますが、原文では力という意味の言葉で違う単語の「クラトス」「イスクス」というのが二つ並んでいるのです。パウロとしては、とにかく大きな力ということがいいたかったのでしょう。
私たちの力によって戦うのではありません。私たちが強くなって、もう神さまの力など必要がないほどに強くなって戦う、というのでもありません。私たちはどこまでも弱いのです。しかしその弱い私たちによって神さまが戦ってくださるのです。私たちがいたずらに強くなってしまったら、神さまの戦う場面がなくなってしまいます。もちろん私たちは強くないのです。強くないのに強いかのようにふるまってしまったら、もうその戦いには結果が見えています。
私たちは弱さを誇りましょう。神さまが戦って下さることに信頼をしましょう。ダビデのように、普段使い慣れた道具、日々の祈りとみことばの生活、日曜日の礼拝を中心とした教会生活によって、神さまが戦って下さることを信頼しましょう。
「モーセは民に言った。
『恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。』」
(出エジプト14・13.14、新改訳聖書2017)
「そこで、モーセは民に言った。
『恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは今エジプト人を見ているが、もはやとこしえに見ることはない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは静かにしていなさい。』」
(同、共同訳2018)