神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ

静まりの時 2022年9月2日(金)
第一ペテロ5・8~11

「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
 堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。
 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。」
(第一ペテロ5・8~11、新改訳2017)

 信仰生活は戦いです。誰彼との戦いということではなく、罪との闘いです。私たちが罪と闘って敗れることを、誰よりも望んでいるのが悪魔です。この戦いに勝利するためにペテロは三つのことを命じています。「身を慎むこと」「目を覚ましていること」「悪魔に対抗すること」。

 身を慎むこと。いつも神さまの前に生きていることを忘れず、神さまの喜ばれる道を選択することです。
 目を覚ましていること。いつも祈ること、神さまへの礼拝をささげること。神さまだけを自分の主とする道を選び取ることです。
 悪魔に対抗すること。いつも十字架の道を選ぶことです。自分の十字架を負ってイエスさまに従っていくことです。

 いずれも自分の力でなすことではありません。今朝の個所の前節には

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(7)。

とあります。イエスさまにゆだねることによって身を慎む、目を覚ましている、十字架の道を選び取る。それが信仰の戦いに勝利する道です。

「ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです」(9)。

 私たちが出遭う苦難は、決して孤独の中のものではありません。二千年の教会に生きたキリスト者たちも経験したことであり、今も世界中のキリスト者たちが経験していることです。具体的な形は違いますが、苦難のないキリスト者はいません。

「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」(10)。

 しばらくの苦難があります。苦難は期限付きです。必ず終わりがあるのです。私たちはもっと早く助けてほしいと思います。しかしそれは私たちの時間の感覚であって、神さまから見れば「しばらく」の時なのです。神さまには神さまのお考えがある、ということでしょう。神さまにゆだねて、その時を待ち望みたいと思います。
 神さまは必ず「回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者」としてくださるのです。共同訳2018では「癒やし、強め、力づけ、揺らぐことがないように」してくださると訳されていました。
 神さまは、信仰の戦いで傷ついたところを癒してくださいます。それだけでなく、強めてくださる、さらには力づけてくださり、不動の者、揺らぐことのない者としてくださるというのです。苦難を経験する前は、ちょっとしたことで揺らいでいたのが、苦難を経験した後では、どっしりとした信仰を生きる者となる、ということです。自分の力でそうなるのではありません。神さまがそのようにしてくださるのです。

 今朝の個所のさらに前の6節には

「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます」(6)。

とありました。結局、信仰の戦いにおける勝利の道は、この「神さまの力強い御手の下にへりくだること」、そして神さまが「ちょうどよい時に」高く上げてくださることを待ち望むことによってひらかれていく、ということでしょう。私たちは、この神さまに期待しゆだねて、喜びと感謝をもって今日を生きて行きたいと思います。