静まりの時 2022年8月30日(火)
エペソ5・6~20
「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。」
(エペソ5・8~11、新改訳2017)
イエスさまを信じたその時から、私たちは光の子どもとなりました。光の子どもとして歩む私たちは、光の実を結ぶように招かれています。日々光の実を結ぶのです。
光の実を結ぶ道は「善意と正義と真実」です。それはまた「何が主に喜ばれることなのかを吟味する」ことでもあります。また「実を結ばない暗闇のわざ」に加わらず、むしろ、それを「明るみに出し」ます。そうして光の実を結ぶのです。
「あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。」(9)
これは、新共同訳では
「――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――」
共同訳2018では
「――光の結ぶ実は、あらゆる善と義と真理との内にあるからです。――」
善意と正義と真実によって光の実が結ばれるという意味と、光の結ぶ実そのものが善意と正義と真実である、という意味と、二つの意味があるように思えてきます。いずれでもよいのだと思います。光の子である私たちの営みが、光の子らしく光の実を結ぶためには、いつも善意と正義と真実が必要である、ということであり、そうして生きる道に善意と正義と真実が実現していくということでしょう。それこそ、主が喜んでくださることである、ということです。
主が喜んでくださることを追い求めましょう。自分の歩みが主に喜ばれているだろうかと吟味しましょう。暗闇の業が行なわれいるならば、それを見て見ぬふりするのではなく、明るみに出す勇気をいただきましょう。そんな勇気はない、と私たちは思いますが、光として生きるということそのものが、すでに明るみに出す道に生きていることなのです。
「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」
これは旧約聖書からの直接的な引用というよりも、当時の礼拝での賛美歌だったのではないか、といわれます。それで、その後の節には礼拝の勧めが続いているようです。
イエスさまを信じて、復活の祈りにあずかる者となった私たちは、イエスさまの光に照らされて生きる者となりました。このイエスさまの光の中に今日も歩みましょう。