静まりの時 2022年7月16日(土)
申命記33・1~34・6
「そして主は彼に言われた。
『わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに「あなたの子孫に与える」と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。』
こうしてその場所で、主のしもべモーセは主の命によりモアブの地で死んだ。主は彼を、ベテ・ペオルの向かいにあるモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知る者はいない。」
(申命記34・4~6、新改訳2017)
33章1節から「モーセの祝福」と題されるところが記されています。各部族に向かって祝福の言葉が語られました。32章1節からは「モーセの死」と題され、申命記のエピローグとなります。
モーセが約束の地に入ることができないことは、32章32節にすでに神さまから語られています。モーセは自分が約束の地に入ることができなことを知りながら、約束の地に入って行く民に祝福の言葉を語るのです。こういうところにモーセの信仰が明らかにされているように思います。魅力的な人物であると改めて思うところです。
祝福の言葉が語り終えられると、いよいよモーセの最期が記されています。神さまはモーセに約束の地をお見せになります。その上で再び、あなたはそこへ渡っていくことはできないと神さまは言われます。モーセは厳粛な思いで、この神さまのお言葉を聞いたことでしょう。
聖書は、イスラエル民族を奴隷であったエジプトから導き出した偉大なリーダーの死を簡潔に記します。簡潔に記すだけではなく、そのリーダーの墓を知る者はいないと、記します。
昔、飢餓対策の評議員をしていた時に、インドのコルカタ(カルカッタ)を旅したことがありました。その旅の中で、マザー・テレサが奉仕された施設を訪問したのですが、マザーの墓にも行くことができました。小さな建屋に花いっぱいの柩が置かれていました。清楚な雰囲気の素敵なところでした。
私たちは死んだらどんなふうに葬られたいでしょう。死んでいるのですから、どうでもよいことかもしれませんが、人間はいろいろと考えてきたことだと思います。毎回NHKの大河ドラマの最後には、ドラマゆかりの場所が短く紹介されます。登場人物の墓が紹介されたりします。立派な墓もあれば、そうでないものもあります。死んだときには墓などなかったのに、後代にわざわざ墓が作られたという人もいるようです。
イスラエルにとっては民族解放の父と言ってもよいモーセ。しかしそのモーセの墓を知る者はいない。これがイスラエルという国のあり方を表しているように思います。どんなに偉大な人物も人間なのです。人間に過ぎないのです。神さまだけがあがめられる。そのような信仰が確かにされているのだと思います。休暇の時など他教会に礼拝出席した際、会堂に創立牧師や歴代牧師の写真が飾られているところがあります。飾り方は微妙ですね。資料としてそっと飾られているところもありますが、目立つところにでっかく飾られているところもあります(笑)。それぞれの教会の信仰姿勢が見えるような気がします。
できればモーセのように、その墓を知る者は誰もいない、というようなことがいいのかな、という気がします。
昨日も午前と夜にオンラインでの会議があり、少し無理をしたのか、寝る前から腰が痛みだし、少しやわらいだのですが今朝も続いています。お祈りいただければと思います。
急性心筋梗塞に倒れて間もなく一年となります。救急搬送してくださった消防署に礼状を出そうかという思いが前からあったのですが、一年という区切りは手紙を出す良いタイミングかもしれません。心臓の約半分が壊死した心不全をかかえて生きることになったのですが、生かされている、という実感が満ちていて、感謝な毎日です。今はそれほどでもありませんが、退院当初は見る景色がすべてがキラキラと輝いていました。
ただ心不全ということで薬で血圧と脈拍をコントロールしていますので、急な動きができず、息を詰めているとすぐにしんどくなってしまいます。深呼吸は大切です。脈拍はだいたい50を切るようになっています。血圧も上が100を越えない、80を下る時もあり、下は50を切ることもしばしば。妻には、それ死んでるんちゃうか、といじられます。ですから何か心を揺さぶることがあると、急に血圧が上昇したりするので、これまたしんどいのです。血圧は自律神経の管轄なので、私から自律(あるいは自立(笑))しているので、どうしようもありません。できるだけ穏やかに過ごそうと努力しています。