彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください

静まりの時 2022年3月16日(水)
ヨハネ17・20~26

「・・・父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。・・・」

(ヨハネ17・21、新改訳2017)

 イエスさまは十字架の時を前にして祈られました。「すべての人を一つにしてください」と。
 父なる神さまが御子イエスさまのうちにおられる、そして御子イエスさまが父なる神さまのうちにおられる、そのようのにすべての人を一つにしてください、と祈られました。
 一つと言っても、互いに融合して、お互いが消えてなくなってしまうような一つではなく、互いが確かにされつつ一つとなる、という一つ。それが父なる神さまと御子イエスさまが一つである、という意味である。そのような父なる神さまと御子イエスさまとの交わりの中に、イエスさまを信じる者たちもおらせていただく。キリスト者として生きるということは、この父なる神さまと御子イエスさまとの交わりの中に生かされることである、と。そのように一つの交わりの中にキリスト者が生きることによって、この世は「父なる神さまが御子イエスさまを遣わされたこと」を信じるのだ、と祈られました。
 御子イエスさまは父なる神さまが遣わされたお方である、とこの世が信じることができないのは、私たちが父と御子の交わりの中に一つとされていなことが原因である、ということでしょう。キリスト者の一番大切な奉仕は、この「イエスさまのもとに一つとなる」ということです。どんなに立派な奉仕がささげられていても、互いに批判し合って分裂しているとすれば、このイエスさまの祈りに生きていないということであり、この世がイエスさまを信じるようにはならない、ということも仕方のないことなのかもしれません。
 私たちイエスさまを信じる者が第一のこととして一所懸命にしなければならないことは、お互いに受け入れ合い、信頼し合い、一つになるということです。そのとき相手を自分の考えにあうように支配し変化させてしか受け入れない、ということであれば、それは力による現状変更であり相手を自分の都合の良いように融合させようとしていることであって、神さまのみこころである、とは言えないでしょう。互いに違いがあるからこそ、そこで受け入れ合うということが貴い愛の業となるのです。そうして福音はこの世にあって前進するのです。