静まりの時 2022年2月17日(木)
第二コリント4・1~6
「・・・『闇の中から光が輝き出よ』と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。」
(第二コリント4・6、新改訳2017)
「闇の中から光が輝き出よ」。
「はじめに神が天と地を創造された。地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。」(創世記1・1~3)
世界を創造された神さまは、その創造の業の最初に「光」をお造りになりました。それまで地は茫漠として何もなかったのですが、神さまはおことばをもって光を創造されたのです。こうして闇の中に光が輝き出ました。
それと同じように、闇の中にあった私たちの心を、神さまは光で照らしてくださった、とパウロは語りました。その光に照らされたので「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」を「輝かせる」ことができたのです。私たちが、「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」を輝かせることができた、すなわちその知識を得ること、またその得た知識によって私たちのいのち、私たちの人生が輝くものとなったこと、それはひたすら神さまが私たちの闇の心を照らし出してくださったからです。創造の御業が私にも起こった、行われたということです。救われるということは、この創造の御業に日々あずかることです。
聖書の神さまは、無から有を生み出す創造主です。私たちが何かを作ろうとすると、かならずその材料が必要となります。しかし神さまはすべてのものをお造りになられた、神さまが造られなかったものはなにもないのですから、その最初は、無から有を生み出された、ということです。神さまは何の材料もないところに、創造の御業をなさるお方なのです。
それと同じように、私たちの心を光で、私たちの人生を神さまのご栄光で照らしてくださる、ということも、神さまの創造の御業である、ということですから、それは無から有を生み出してくださる御業なのです。希望の材料が全く見えないところで、しかし神さまは希望の道をひらいてくださるお方なのです。神さまを信じるということは、あらゆる事態の中にあって絶望しないでもよい、という道を歩むことなのです。
昨日は久しい方が来会してくださり感謝でした。自動車のバッテリーがあがったので直してほしいということだったのですが、以前なら対応できたのですが、いまはその余力がなくてお断りすることとなりました。申し訳なかったです。そのほかのご依頼には対応することができたので感謝でした。幸せに暮らしていただきたいと祈りました。
今朝は、寒い朝を迎えました。雪の予報とのことですが、ここ東近江は今はまだ降っていませんが、もうすぐ降り出すのでしょうか。彦根、長浜、木之本の教会は心配ですね。お祈りしています。春が待ち遠しいです。