静まりの時 2022年2月16日(水)
ヨナ3・1~10
「・・・神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。」
(ヨナ3・10、新改訳2017)
「あの大きな町ニネベ」。現在のイラク北部、チグリス川の北に位置した古代アッシリアの町、とのこと。異邦人の町です。神さまはその町の悪をご覧になりさばきの預言をヨナに託そうとされました。しかしヨナはそれが嫌でニネベとは逆方向のタルシシュに逃げます。タルシシュの現在の位置は諸説あるようですが、ニネベがイスラエルからすると東の方向ですから、タルシシュは西の方向ということでしょう。イスラエルから西方には地中海があり、それは大西洋につながっています。ヨナは船に乗り込んでタルシシュへ逃げようとしました。しかし船は嵐にあい、ヨナは魚に飲み込まれ、そこで悔い改めの祈りをします。ヨナはもう一度神さまの預言を語ろうと決意します。
ヨナは「主のことばのとおりに」立ってニネベに行き、その都に入って「あと四十日すると、ニネベは滅びる」と叫び続けました。するとニネベの人びとは「神を信じ、断食を呼びかけ」悔い改めます。この群衆の回心はニネベの王の耳に入り、王も悔い改めに導かれます。さらにこの悔い改めは王や大臣の命令となります。「あの大きな町ニネベ」は、預言者ヨナの宣教活動によって、町が一つとなり悪の道から立ち返ることとなりました。大リバイバルが起こりました。
1、神さまはだれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる
「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(第二ペテロ3章9節)
神さまは、異邦人の町ニネベに、神さまの言葉を伝えるようにヨナを遣わされました。この出来事をユダヤ人は聖書におさめ代々読み伝えました。自分たちの信じる神さまは、神さまを信じるならば異邦人をもお救いになるお方であるとユダヤの人びとは信じたのです。そしてそのことを自分たちの信仰として大切にしました。聖書の信仰は、一地方の民族だけの信仰ではなく、全世界の人びとの救いを語る世界宗教です。
2、神さまは愛をもって思いなおされる
「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネ15章16節)
神さまの選びの中に自らがあるということは、自らの救いの確かさを語っているのであって、運命を語っているのではありません。選びというのは、冷徹な変更不可能の道を語っているのではなく、神さまのあたたかい愛を語っています。ですから悔い改める私たちに向かって、いつも思いを新たにしてくださるお方なのです。悔い改めるに遅いというはありません。
3、神さまは人の心に奇跡を起こされる
「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」(ピリピ2章13節)
神さまは私たちをロボットのようにお造りになったのではありません。私たちが、自らの心を動かして悔い改めることが必要です。しかし私たちが悔い改めに導かれた、ということ自体の中にも神さまのお働きがあるのです。罪びとである私たちは、自らの中に悔い改めるという力はありません。しかしこうして悔い改めることが実現した、という、その事実があるということは、そこに神さまがお働きなっているということなのです。そのことを感謝したいと思います。ニネベの人は決して悔い改めるような人たちではなかったのだと思います。それが悔い改めた、ということは、どんなに悔い改めが不可能と思えることの中にも、神さまにとっては不可能はない、との信仰に私たちは立つことができます。
またこの大きな悔い改めの出来事を、ヨナは喜びませんでした。かえって不愉快になります。
「ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、主に祈った。『ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。ですから、主よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。』」(ヨナ書4章1~3節)。
ヨナは、決して愛に満ちてニネベの町に神さまの言葉を伝えたのではありませんでした。預言せよと神さまに召されたときに逃げたのも、ニネベが悔い改めることを予測して、そうならないようにとの願いからだったようです。ニネベの町なんか、滅んだほうが良いのだ、との思いがあったということですね。
果たしてニネベが悔い改めると、案の定、神さまは思い直されて、さばくことをお止めになりました。だからヨナは不愉快になったのです。神さまはそんなヨナにあたたかく語り続けられました。ヨナの心にも奇跡を起こそうとなさるのです。
ヨナは愛に満ちるどころか憎しみと審きの心に満たされて、神さまの言葉を語りました。しかしその言葉でニネベの町が悔い改め、大リバイバルが起こったのです。私たちはできるだけ愛に満ちて宣教の言葉を語りたいと思いますし、そうでなければ言葉が届かないとも思います。しかし私たちの信じる神さまは、私たちの心がどのようであっても、宣教の実を結ばれるお方なのです。
安心して、御言葉の宣教に遣わされれば良いのだと思います。私たちの心のありようを超えて、神さまは全能の御手を伸ばしてくださいます。