天における相続財産の先取り

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私たちがキリストの教会で互いに受け合う誉は、イエスの御言葉によれば、天における相続財産の先取りである。そのような相続財産を、私たちは、すでにこの時間の中で使用し始めることはできるが、しかしそれは、やがて消失してしまう。

・・・

自分がキリストによって誉へと引き寄せられたことを知る者の誉ー死刑囚の誉である。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、330頁 
ヨハネの福音書5章44節
2012年10月11日(木)

ほめられたいという衝動を持っています。ほめられて子どもは育つともいいます。いくつになってもほめられるとうれしいし、生きる力が湧いてきます。

しかしほめられることが喜びを生み出すとすると、逆にほめられないということは、がっかりしたり、極端には生きる希望も失ってしまいます。

人の語る言葉は確かなものではありません。その確かなものではない言葉の中にあるほめ言葉に生きる力の土台を置くならばなんと不安定な人生でしょうか。ですから神さまからの変わることのない確かな言葉の中に人生の土台を置かなければなりません。

しかし罪人である私たちは、到底神さまからのほめ言葉を聞くことはできませんでした。ですから全く希望のない状態の中にあったのです。

そこにイエスさまが来てくださいました。天を押し曲げてこの地に、私たちの所に降りて来て下さったのです。そうして本来ならばほめられることのない私に「あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」(イザヤ書)の言葉を語ってくださったのです。その愛の言葉を語るために、それは私たちの罪を赦すために、滅びに至る私たちの身代わりとなって自らが十字架にかかられました。神のいのちがささげられた愛のことがです。

滅びに向かうだけの死刑囚でした。しかし主イエスさまが一方的に手を差し伸べ救ってくださいました。

私たちはただこのお方が与えてくださった誉を喜びましょう。そしてもし何かをなしたとして天国に宝が積まれているとしても、その宝を先取りして無駄にしてしまうことのないようにしましょう。

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