ダビデのために守ってください

静まりの時 2022年2月10日(木)
第二歴代誌6・12~17

「・・・そこで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたことを、ダビデのために守ってください。『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの律法に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』と言われたことを。・・・」

(第二歴代誌6・16、新改訳2017)

 ソロモンは、神殿の建設工事が完了すると、イスラエルの全会衆の前に立ち祈りました。父ダビデへの約束を守って下さった神さまに感謝をささげ、引き続きダビデへのその約束を守って下さい、と祈りました。ソロモンの神殿はたいそう壮麗な神殿であったといわれます。その立派な事業を成し遂げたとき、それは自らの功績ではなく、父ダビデへの約束を果たしてくださった神さまの為してくださったことである、これからも父ダビデへの約束を継続してください、とソロモンは祈ったのです。
 神学校時代に校舎の建て替え工事がありました。礼拝堂も建て替えられ、伝統的な建築の礼拝堂から、モダンなデザインの礼拝堂に変わりました。旧の礼拝堂が壊されるときに、幾人もの先生方が集まって祈っておられました。数えきれないほどの冠婚葬祭、毎週の礼拝がささげられた会堂への思いには、私たちには想像を越えるものがあったのだと思います。そして新しくなった礼拝堂で、また続いて礼拝がささげられ、冠婚葬祭、そして学院礼拝堂としての牧会活動が継続していきました。
 教会は見える教会と見えない教会がある、と言われたりします。建物としての見える教会。あるいは建物がなくても集う兄弟姉妹の群れとしての教会。あるいはさまざまな活動。あるいは二千年の教会、使徒信条で告白している公同の教会、などなど。しかし、本当はそのような分け方はふさわしくないのかもしれません。教会はキリストのからだです。からだなのですから、そこには肉体もあれば、精神もあり、また心もある、あるいは社会の中に置かれたからだを考えると世に置かれた、あるいは遣わされた教会の姿も思います。
 いずれも教会が建てられているということは、そのこと自体に神さまの約束があるのだと思います。「わたしは・・・わたしの教会を建てる」(マタイ16・18)とイエスさまは言われました。教会はイエスさまが建てるとお約束してくださったことの果実です。そして教会を建て続けてくださることも、イエスさまがお約束を守って下さることによるのです。私たちが教会に生かされているのも、イエスさまが支えていてくださるからなのですね。

 「心臓病は夏と冬、猛暑と底冷えが大変です。大事にしてください」と心臓病の先輩牧師から言われていました。寒さも底のピークを過ぎたでしょうか。ウォーキングで少しづつ太陽の力を感じるようになりました。昨日はタンポポを見つけました。

PXL_20220209_052640874