静まりの時 2022年2月8日(火)
創世記9・1~7
「神はノアとその息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。『生めよ。増えよ。地に満ちよ。あなたがたへの恐れとおののきが、地のすべての獣、空のすべての鳥、地面を動くすべてのもの、海のすべての魚に起こる。あなたがたの手に、これらは委ねられたのだ。生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える。ただし肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。わたしは、あなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。いかなる獣にも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
人の血を流す者は、人によって血を流される。神は人を神のかたちとして 造ったからである。あなたがたは生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ。』」(創世記9・1~7、新改訳2017)
大洪水とノアの箱舟。そして虹の契約。ここでかつての契約、創世記1章の第六日の創造の御業の時に語られた言葉がリニューアルされています。
「・・・『生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。』神は仰せられた。『見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。』・・・」
(創世記1・24~31、新改訳2017)
最初の契約では、食物は植物のみでしたが、このノアの洪水以降、食物は「生きて動いているもの」すなわち動物に拡大されました。それまでビーガンだったのが肉食もオッケーになった、という感じです。それにより「あなたがたへの恐れとおののきが、地のすべての獣、空のすべての鳥、地面を動くすべてのもの、海のすべての魚に起こる」(創世記9・2)、すなわち人間と動物の間に「恐怖」が生まれるようになります。支配するということがより鮮明に、またその支配が、力と恐怖によるもの、としての面がより鮮明になります。
むかし南極探検隊員のお話しを聞いたことがありましたが、最初に南極大陸に到着したときに現地のペンギンたちは、なんの警戒心もなく近づいてきたそうですが、二回目からは警戒心に満ちて近づかなくなったそうです。人間というのは恐ろしい生き物なのですね。
この肉食が許されるようになって新たに「ただし肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない」という戒めが加わりました。血のままで食べてはならない、それは血の滴るようなレアではなく、しっかりと焼いたウェルダンでお願いします、という感じですが、意味は「いのちである血」すなわち血はいのちそのものなので、いのちとして食べてはいけない、しっかりと血を取り除いて肉として食しなさい、ということです。これがどのような意味を持っているのか、十分に理解することは難しいことかもしれません。
スーパーの食材コーナーに行くと、お肉は、魚、牛、豚、鳥、と分類されて並べられています。多くはトレーに入ってパックされているので、清潔感と共に、残酷な感じはあまり感じることがありません。もし牛肉の販売所が、牛舎の横にあり、目の前で牛が解体されその肉が並べられる状況で販売されているとすれば、これはもうホラーですね。なかなか販売の促進に結びつかないかもしれません。しかしいくらその残酷感が軽減されたとしても、なされていることは変わらないわけで、美しいパックになる道のりには、血が流されている、いのちが流されているのです。
動物たちは日々、そのように人間を生かすために、そのいのちを流していてくれる。自分のいのちが誰かを生かすために流される。そんなことを考えただけでも大変なことですが、彼らはそれを為していてくれる。そのことへの感謝、ありがたさをパック詰めの肉は軽減してしまうのかもしれません。かといって残酷な場面を見ながら食事の準備をするということも、なかなか難しいのですが、少なくとも何かのいのちの犠牲によって、自分が生きていることを忘れないでいなければならないと思いました。
いのちの犠牲を忘れない。これは、何よりもイエスさまの血の犠牲によって私たちは生かされている、ということに私たちの目を向けます。イエスさまは十字架において、ご自身の血を流してくださいました。いのちを流してくださいました。それによって罪びとである私たちは生きるものとなりました。そのことを忘れない、つねに覚える。信仰生活のひとつの焦点はそこにあります。神さまのいのちによって生かされている、それが私である、という信仰は、今日の私たちの生を喜びで満ちたものとします。
十分に理解することが難しいところではありますが、少なくとも輸血の禁止ではないことは明らかでしょう。