静まりの時 2021年12月13日(月)
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」
(ペテロの手紙 第一 5章10節 新改訳2017)
神さまのことを「あらゆる恵みに満ちた神」と表現し、それの説明として「あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神」とペテロは書き記しました。神さまは恵みに満ちておられるお方であり、その恵みとは、私たちを「永遠の栄光の中に招き入れてくださった」ことである、と語るのです。
この「招き入れてくださった」とは、もともとの言葉は「呼ぶ」つまりコーリング、召すという意味の言葉で、弟子たちがイエスさまに召された、という時に使われる言葉です。お客さんとして招待された、ということもあるかもしれませんが、それよりも、主イエスさまとともに労する者として召されたという感じです。
この単語は「分詞」で、神さまというお方のご性質を明らかにしているようです。つまり神さまは「召す」お方である、ということです。
神さまは全能なる方なので、ご自分で何でもお出来になるのですが、その神さまがご自分で何でもしようとはされず、私たちを召すことを大切になさるお方である、ということです。そして召される私たちは、その召しにふさわしい者なのかというと、賜物でも、性質でも、むしろとんでもない者で、決して召されるにふさわしくないのです。おおよそ人間であれば決して召すことをしないであろうという者、それが私たちなのです。にもかかわらず、私たちを召してくださり、ご自身の大切なお働きに参画させてくださる、それが神さまだ、この召されたということ自体が恵みである、だから恵みに満ちたお方なのだ、とペテロは語るのでしょう。
ふさわしくない者を召してくださった、その恵みを誰よりも知っているのがペテロですね。三度裏切る、という自分であるにもかかわらず、イエスさまは召してくださいました。
「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
(ルカの福音書22章31~32節)
この「シモン」というのはペテロのことで、このイエスさまのお言葉は、ペテロが裏切る前に語られた言葉です。何でもご存じのイエスさまは、ペテロが裏切ることをもご存じで、そのうえで召してくださり、その召しは変わらず、さらに召しに応えることを期待しておられる。まさに恵みに満ちたお方です。
「あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」
もちろん神さまは、召された者を、信仰の成長へと招かれます。信仰の成長とは、愛の成長です。その道のりには「しばらくの苦しみ」があります。しかしそこから「回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者」としてくださいます。「しばらくの苦しみ」すなわち試練は、愛の成長のための大切な道のり、通過点です。
上記の聖句が掲げられた本日のデボーションテキストの中では、以下のことばが心に留まりました。
「私たちは天においては、いかなる種類の苦しみも受けることのない完全な体を与えられます。」
(スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、489頁ff)
ここでは「新しいからだ」がテーマになっているようです。救われるということは、いわゆる精神の問題ではなく、精神も肉体も、すべてを含んだ「からだ」全体のことです。ですから私たちは、肉体も大切にするのですね。あるいは肉体を穢れたものとしてあとまわしにすることをしないのです。教会は、食べるとか、肉体をもって礼拝をするとか、そういうことを大切にしてきました。のちにメソジストとあだ名されるようになったグループのはじめの一人ウェズリは、健康のための書物も書いておられるとか・・。
今日も体を大切に一日を歩みたいと思います。
今週は、「古楽の楽しみ」(朝6時からNHK・FM)では、加藤拓未さんの案内で、「メサイア」放送されています。第一回目が今日だったのですが、「最近の録音で聴くヘンデルの『メサイア』」との題のとおり、どこか新鮮な響きで、イエスさまのご生涯が鮮やかに描かれています。
牧師室のエアコンは、どういうわけか冬場は効かなくなります。夏場のクーラー機能は効きます。幾度か修理をお願いしたのですが、センサーの問題なのか、設置場所の問題なのか、解決に至りません。それでファンヒーターを置いたこともあるのですが、いまは灯油ストーブを置いています。これは古い灯油の処理対策としても優秀です。灯油ストーブはいいですね。やかんをかけているのですが、ちりちりと素朴な音の響きと、あかあかと燃える部分に心が和みます。それを背景(風景)に小さなラジカセから奏でられるヘンデルの「メサイヤ」は、静まりの時間にはちょうど良い雰囲気です。
昨日は、ルカの福音書から羊飼いの信仰の道のりを学びましたが、人間の営みを超えて神さまご自身がご熱心にお働きくださる方であることをあらためて思い、感謝しました。
午後は、11月より再びうかがうようになった彦根の教会に説教奉仕に行きました。妻にボディーガード(笑)でついて来てもらいます。どうしても昼寝をしないと体力が持たないのですが、昨日は役員会もあってちょっと時間にタイトな一日となりました。しかしおかげさまでなんとかこなすことができました。
この12月は、クリスマスで忙しい時期であるとともに、団体の業務としては、先生方の期末手当の処理、また年末調整作業、源泉徴収票の発行作業等があり、また団体の会計年度の締めの月でもあります。教会の総会の準備もあるのですが、団体の総会準備も進めていくことになりますので、総務の私としてはなかなかハードな時期を迎えます。まあ嫌いな仕事ではないので、それほどストレスがたまるということはないのですが。
帰りに、彦根のビバにオープンしたスタバでテイクアウトをしました。11月の時にもカモミールティーを飲みながら帰ったのですが、これがことのほか心と体を和ませてくれました。今回は、ゆず何とかというのを注文しました。少し甘かったのですが、まあよいでしょう。以前ならば迷わずコーヒーを求めましたが、今のところコーヒーは朝の一杯だけで十分になってしまいました。