強くし、不動の者としてくださいます

静まりの時 2021年12月14日(火)

「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」

(ペテロの手紙 第一 5章10節 新改訳2017)

 今日もこの聖句だったのですが・・・。
 この聖句の終わりの部分には「回復させ」「堅く立たせ」「強くし」「不動のものとしてくださいます」と四つの動詞が記されています。いずれも「直接法未来能動三人称単数」ということで、主語が神さま、そして十分理解できているわけではありませんが、未来というのは、どうなるか分からないといった未確定の未来ではなく、意志未来みたいな感じで、必ずそうしてくださるという強い未来、つまり「将来」、将に来たらんとしていること、を表しているのだと思います。
 「回復させ」は他の訳では「完全にし」とか「いやし」。「堅く立たせ」は「強め」。「強くし」は「力づけ」。「不動の者としてくださいます」は「揺らぐことがないようにしてくださいます」など。
 とくに「不動の者としてくださいます」は、土台を据え置くという意味で、名詞になると土台や基礎という意味になるようです。信仰の成長は、愛の成長であると昨日書きましたが、愛の成長は「不動の者」としていただく、しっかりと土台を据えていただく、ということなのだと思います。それが「しばらくの苦しみの後」に神さまが招いていてくださる新しい生き方です。
 ちょっとしたことで揺れ動いてしまう私としては、未だ道半ばという感じではありますが、そのような将来を約束していてくださることは大きな感謝です。

 デボーションテキストの今日の個所には先の聖句に続いての文章で以下の文章が心に留まりました。

「おそらくあなたの欠点があなたを窮地に陥れたのです。もし神がその御手を伸ばし、そこから拾い上げてくださらなかったなら、あなたは救われることはなかったでしょう。」

(スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、491頁ff)

 窮地に陥るとき、しずかに考えてみればそれらはことごとく自分の欠点によるものであることを思います。神さまの御手が伸ばされていなければ、とうの昔に滅んでいたことでしょう。こうして今生かされているのは、神さまがいつもその御手を伸ばしていてくださり、拾い上げてくださってきたからであることを思い感謝しました。

 昨日は青空が出たかと思うと小雨が降るという天気でしたが、晴れ間にいつものようにウォーキングに出かけました。虹が出ていました。

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