主があなたとともにおられる

静まりの時 2021年10月15日(金)

「ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。」(新共同訳)

(テサロニケの信徒への手紙4章18節)

あなたは天に出かけようとしています。しかし、主があなたとともにおられるではありませんか。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、407頁f

「今述べた言葉」によって「励まし合う」こと。こう命じられています。キリスト者は「今述べた言葉」によって「励まし合う」人たち、教会は「今述べた言葉」によって「励まし合う」者たちの群れ、共同体です。また「今述べた言葉」によって「励まし合う」ことを学ぶところ、訓練されるところ、ということでしょう。
「今述べた言葉」とは直接的には、それまでパウロがテサロニケの信徒に向かって語ってきた言葉の数々ということでしょう。しかしそれとともに聖書の言葉のすべてを考えてもよいと思います。
聖書の言葉は、なによりも「互いに励まし合う」ことを目的として書かれています。それ以外に利用しようとすると目的外使用ということで、聖書の力が発揮されませんし、私用する私たちの人生をときに間違った方向に導いてしまうでしょう。
新約聖書は、イエスさまの地上での歩みとその言葉(福音書)、イエスさまの復活と昇天後の弟子たちの宣教活動(使徒の働き)、弟子たちの手紙(ローマ書~ユダ書)、そして終末について(黙示録)によって構成されています。この中で最初に書かれていったのが弟子たちの手紙です。
手紙は、ローマ書からピレモン書までの13巻を使徒パウロ、ヘブル書は著者不明、ヤコブからユダは、それぞれ使徒ヤコブ、使徒ペテロ、使徒ヨハネ、使徒ユダがそれぞれ書いたと言われます。いずれも教会が直面したさまざまな問題を取り上げつつ、それぞれの教会の信徒を励ますために使徒たちがいのちを注いで書き送ったものです。三位一体の神さまは、いわゆる「おふでさき(御筆先)」ではなく、いのちを賭して信仰に生きた使徒たちの言葉をもって、ご自身のお心を明らかにされたのです。またその数々の言葉を、歴史の信仰者たちは写本という形で、後代に伝えていきました。私たちは多くの名もない先輩のキリスト者によって、いま「励まし」をいただくことができ、また「励まし合う」者としていただきました。
「励まし合う」。「励まし」ということばは原文のギリシャ語で「パラカレオー」といい、このことばは「パラ」ということばと「カレオー」という二つの言葉からなっています。「パラ」というのは接頭語でこの場合「側に、に、へ」を意味し、「カレオー」は「呼ぶ、呼び出す、呼び寄せる」といった意味です。それで「パラカレオー」となると「側へ呼ぶ」という意味なのですが、そこから「助けを求める」「懇願する」「呼びかける」「勧告する」「元気づける、慰める」「好意をもって話しかける、優しい言葉をかける」という意味でも使われ、そしてここでは「慰める」という意味で使われています。
「慰める」ということを「そばにいる」という言葉で表現したギリシャ語の妙があるのですが、たしかに何よりも「そばにいる」ということこそ慰めであるということなのだと思います。何かをなすということはできなくても、ただそばに居るということが慰めとなるような存在としていただける、それがキリスト者なのだと思います。
この「パラカレオー」ということばは、さらに「援助者として呼ばれた者」(パラクレートス)の語源でもあり、このパラクレートスは「助け主」と訳され、ご聖霊さまをあらわす言葉ともなりました(ヨハネ14章16節、ほか)。ご聖霊さまは、助け主、そして慰め主としてつねに私たちのそばに居てくださるまことの神さまです。
私たちの語る言葉のすべてが隣人への励ましとなるように祈りたいと思いますし、また何もできなくても、また語る言葉が見つからなくても、そばにいるということが隣人の慰めとなるような者でありたいと思います。