主イエスにしっかりと依り頼む

静まりの時 2021年10月5日(火)

「だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」

(エフェソの信徒への手紙6章13節)

あながた主イエスにしっかりと依り頼むなら、遭遇する試練にしっかりと耐えることができるのです。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、392頁ff

邪悪な日、苦しみの日がやって来る、その日に際してよく抵抗し、与えられているすべてのことを成し遂げ、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けよ、と聖書は語ります。
イエスさまに信頼して生きるならば、苦しみの中にあってもしっかりと立つことができ、人生を生き抜くことができるのです。
私たちには、もともとそのような力はないのですが、イエスさまがそのような力を与えてくださいます。私たちがそのような力を身に着けるために、イエスさまはさまざまな「武具」を与えてくださいました。この神の武具として挙げられているのは以下の通りです。
「真理」「正義」「平和の福音を告げる準備」「信仰」「救い」「神の言葉」「祈り」。
これがキリスト者がこの世にあってしっかりと生きるための神さまの武具であるといいます。イエスさまを信じて生きる者は、これら神さまの武具を身に着けることによって、神さまのお力を身に着けることができ、しっかりと立ち忍耐をもって生きることができる、というのです。
真理(信実、真実)によって戦いの準備をし、正義(義)によって自らの心臓を守り、平和の福音を告げるために足の準備をします。主イエスさまへの信頼、主がなしてくださった救い、そしてそれらを確かにする御言葉を胸に、祈りをもって戦いの場に立つのです。少し別の言い方をすれば、神さまを愛すること(真理、正義)、そして自分を愛するように(信仰、救い)隣人を愛すること(平和)、そのために聖書の言葉(神の言葉)と祈りの日々(祈り)を送ること、です。
それにしても神さまの武具として挙げられている言葉は、武具という荒々しいイメージとは対照的ですね。多くの戦争の歴史を歩んでしまったキリスト教ではありますが、真実に信仰の戦いをした先輩のキリスト者たちはみなこの武具を身に着けた人たちでしょう。いまも無数のキリスト者たちがそれぞれの場で信仰のよい戦いを戦っています。私たちもその共同体のひとりとしていただいています。この戦いは、勝つか負けるか分からない戦いではありません。すでに十字架と復活において勝利してくださった主の戦いです。ですから私たちは
「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」(第2コリント4章8、9節)
のです。

昨日は、朝10時に本部のガス機器の交換作業があったことをすっかり忘れていて思い出したのが9時50分。あわてて本部に急ぎましたが、結局、業者の方も30分ほど遅れてくださったので、間に合ったというか助かったというか。遅れてくださって、ありがとう!!
駆出率というそうですが、心臓が全身に血液を送る量が、健康な状態に比べて低くなっているので、急激な動きをするとしんどくなります。
それでということではありませんが、少ししんどい一日となりました。が、夕刻にいつものウォーキングにでたあとは、ずいぶんらくになりました。しんどいからと言ってじっとしているとかえってしんどい状態が続いたりします。だからといっていたずらに動けばいいのかというとそうでもなく、なかなか悩ましいところです。今朝は健やかです。
無人の本部に秋の香りが・・・。きんもくせいの花が咲いていました。

昨日の夕食は、一昨日につくったカレーの残りにフィレカツといった豪勢なことになりました。このカレー、市販のカレールーにはかなり塩分が多いので、私のものだけ別製作です。それに脂分の少ないフィレカツを加えていただくことになったのですが、これも脂分の多いころもを外して食べることになります。カツカレーとはずいぶんイメージの違うものとなりました。が豪勢な夕食に満足です。
この別製作のカレーですが、塩分の多いブイヨンを避け減塩のかつおだし、カレー粉だけでは粘り気がないので、ゆでたカボチャをペーストにして投入、隠し味に減塩醤油とはちみつ、ということになって、すっかり「和風ジャガイモと人参の煮物カレー風味」になりました。それに昨日はさらに無塩トマトジュースを加えたので、すっかり地中海風ですね。

今日は午前中に教師会がオンラインであり、午後は夕刻の第2回ワクチン接種に向かいます。お祈りありがとうございます。

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