静まりの時 2021年10月4日(月)
「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」
(エフェソの信徒への手紙6章10節)
現在のあなたの苦しい試練は将来あなたに十倍の喜びを与えるために必要な備えなのです。
C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、391頁ff
直訳的には他の多くの訳のように「主にあって」ですが、新共同訳では「主に依り頼み」と訳しています。イエスさまに「ある」ということは、イエスさまを土台として、イエスさまに寄り頼みながら生きる、ということです。聖書の語る信じるということは、寄り頼む、信頼するということです。
そうして「その偉大な力によって強くなりなさい」。新改訳2017では「その大能の力によって強められなさい」と訳されています。神さまの大いなる力によって強くなる、強くされる。最新の共同訳では「強くありなさい」。ギリシャ語で「力」という言葉には、デュナミスがありますが、ここではクラトス、そしてイスキュースという二つの単語が使われています。直訳的には「彼(神)の力の力によって」。この「よって」は上記の「あって」と同じ言葉で、もしそれにならうならば「神の力の力に寄り頼んで」。十分に理解できるわけではありませんが、とにかく言いたいことは、強くなるといっても自分の力によって強くなるというのではなく、神さまのお力によって強くされるということで、もう少し踏み込んで考えると、神さまの大いなる力に寄り頼むことに力強いものとされよ、という感じがしてきます。
パウロはそのことを「最後に」言おうとしました。信仰とは、神さまの力によって強くされることであり、より強く寄り頼む者とされていくということです。自らの罪に倒れたとき、私たちはイエスさまに出会い強くされました。強くされたので、もうイエスさまのお力なしでこれからはやっていけるということではなく、そこで立ち上がるということは、より強くイエスさまに寄り頼んで生きていく者とされる、ということです。信仰の成長とは、イエスさまなしでは生きていけないという道をひたすら導かれていく。私はイエスさまなしでは生きていくことができないのだ、ということを昨日よりも今日、今日よりも明日、より深まっていく、そんな歩みです。ですから信仰生活は、日々自分の力、この世の力が、逆に弱くなっていく、小さくなっていく、そういう歩みである、ということでしょう。
昨日は久しぶりに講壇に立ちました。牧師と召されて10回のブランクは今回がはじめてです。皆さんの祈りに支えられて、説教奉仕を終えることができました。心不全の関係でどうしても肺活量、そして声量が少なくなり声がかすれるのですが、語っている間にどこからか力が湧いてきて、調子に乗ってお話ししていました(笑)。後半、声のカスレが気になった妻がペットボトルの水をそっと差し入れてくれました。いつもどおりちょっとばらばらな部分もありましたが、感謝な時でした。本当に、お祈りありがとうございます。
二回目の新型コロナ・ワクチン接種の祈りの課題もお分かちくださり感謝でした。明日の夕4時。彦根の県立大学に行きます。礼拝後、副反応の経験をいく人かがお話しくださいました。一回目よりも二回目の方が強く出るようですね。
神学校で指導されることですが、説教者は礼拝後は玄関で会衆をお送りします。アメリカでは一人ひとり握手するそうですが、それは日本ではあまりふさわしくないように思います。むりに皆さんに声をかける必要はありません。近江商人は三歩で迎え七歩で送るといわれますが、そこまですることもないでしょう。牧師に話したい人が、容易に声をかけることができる位置にいればよい、といことです。いつもは玄関の外で立ってきたのですが、さすがに昨日は受付の内側で椅子に座らせていただいていました。
緊急事態宣言で先週まで静かな日曜日を過ごしてきたのですが、解除となりふだん通りの日曜日となりました。やはり日曜日の教会は、にぎやかなのがよいですね。
礼拝後は感染症対策として各テーブルを昨日より備え付けた除菌シートでそれぞれ除菌していただきました。宮きよめの日でいつもなら皆で礼拝堂を中心に掃除をするのですが、コロナ禍なので有志による掃除にしていただきました。幾人もの方が残ってそれぞれに掃除をして下さいました。また花壇の整理もなされていました。野菜も植えられたと聞きましたが(笑)。感謝です。
午後、久しぶりの講壇奉仕で疲れが出るだろうかと予想したのですが、どうもそうでもなく、いつも通りの体調でした。これも感謝なことでした。夕刻、いつものように妻とウォーキングに出かけました。
昨日の大河ドラマで、郵便制度の成立に貢献した前島密(ひそか)が登場しました。以前、朝日新聞の天声人語に、郵便料金をどのようにしようかと思い悩んでいた前島が、海外で距離に関わらず一定料金であることを学び、まるで雲が晴れたようにすっきりとした、というような文章がありました。それで日本も郵便料金は、その距離に関わらず一定となっているそうです。電線をつなげば人件費はかからない電話では、その距離によって利用料金が変わり、一方遠方ならばそれだけ人件費がかかるはずの郵便料金は一定である、というのは、これは考えると不思議なことなのですが、前島密さんの功績がかかわっているのだと思います。
妻が撮りためたビデオを見ていたのですが、そこで「幸せなら手を叩こう」という歌のつくられたエピソードをやっていました。作詞者はキリスト者で詩篇の47編に触発されてつくられたそうです。いろんなところにイエスさまの足跡がありますね。
ウォーキングでの一枚。
エノコログサにもいろいろと種類があるそうです。
これは今朝の教会。間もなく夜明けです。