静まりの時 2021年9月5日(日)
神は最も適切と思われるときに私たちに試練をお与えになります。たとえ神が余分な重荷を何らかの方法で私たちに与えることがあっても、後になると別の方法でその試練を取り除いてくださいます。
C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、350頁f
この御言葉によると、神さまは「逃れる」という道によって「耐える」という道を備えてくださるといいます。忍耐は、逃れるということへの期待において形づくられるということでしょうか。
目の前の問題を解決することが不可能に見えても、それが解決されることを期待することも大切でしょう。しかしそれ以上に、目の前の問題は、それはそれとして、いつも心を自由にしている、その目の前の問題に捕らわれない、ということが大切なのだと思います。
どこか飄々と逃れる道に生きていればよいということではないかと思います。
今日は主の日。礼拝の日です。緊急事態宣言中で集いはお休みですが、役員の方と可能な奉仕者によって礼拝がささげられます。またライブ配信がなされます。それぞれの場で礼拝がささげられ、神さまの祝福のうちに新しい一週間が始まります。
お休み中、祝祷を妻が語ってきたのですが、自分の役割は8月いっぱいと決めていたようで、9月からはしないということになりました。それで私が久しぶりに祝祷を語るのですが、もしかしたら体調の問題で黙祷になるかもしれません。ご容赦ください。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10・13)