実に心強い言葉

静まりの時 2021年9月6日(月)

死は私たちの恐ろしい敵なのです。しかし「最後の敵として滅ぼされるのは、死です」(一コリント15・26)。実に心強い言葉です。
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天国に行く前に、私たちの体はそこに入るのにふさわしいものに変えられなければなりません。死と墓は精錬の場であり、将来祝福を受けるにふさわしい体を作るための炉なのです。ボートが清らかな天に到達できるように、死がそのボートをつないでいるロープを切り離します。死は天に昇って行く火の戦車です。死は偉大な王の優しい声なのです。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、352頁

死の恐ろしさと、死の優しさを知ることが信仰者の道である、ということでしょうか。イエスさまを信じる者は、だれよりも死の恐ろしさ、その絶望を知る者です。しかし同時に、死が滅ぼされる者、死は絶対者ではないことを知る者です。そして死にも意味があるということを知る者なのだと思います。
死が絶対者ではないということを知るということは、死が私の苦しみを解決するものではない、ということを知るということです。人間はさまざまな苦しみの中で、自ら死を選ぶことがあります。そこには死が問題を解決してくれる絶対者のように感じているところがあるのでしょう。しかし死は絶対者ではないということを知らされたのがイエスさまを信じるものなのですから、信仰者は自ら死を選ばず、どんな形であれ生に生きる、生かされる道を選択することが大切なことなのだと思います。
神さまに今日も生かされているのですから、明るく楽しく、細かなことは気にしないで、大胆に、自分の生を生きたいと思います。そしてそれがともに生きる人たちへの優しさへと実を結ぶことができるようにと祈ります。
心筋梗塞の先輩たちの文章を読むのですが、発症後3か月は夜寝るのが怖かった、というのがありました。もう朝は迎えられないのではないか、と。だからこそ朝を迎えた時、ああ今日もいのちが与えられた、と感謝したとのことでした。まったくの同感です。

さて今朝のNHK・FM「古楽の楽しみ」では、バッハのマルコ受難曲が、加藤拓未さん(ご本人がキリスト者ということで勝手に親しく呼ばせていただいています。当然ですが私に面識があるわけではありません。)の案内で放送されていました。楽譜は失われているそうですが、研究者たちが復元をしたのだそうです。バッハは死んで天国におられるのですが、こうして楽譜が残ってなくても、その音楽を聞くことができるということは、また素晴らしいことですね。

今日で退院から1か月が経ちます。胸の小さな痛みに一喜一憂しながらも、気持ちをしっかり持って前進したいと思います。

「最後の敵として、死が滅ぼされます。」(1コリント15・26)