本当の意味で生きること

静まりの時 2021年9月7日(火)

日々死んでいる人たちは安らかに死を迎えることができます。

・・・

死につつある人の間では、死につつある者のように生きようではありませんか。というのは、そのとき私たちは本当の意味で生きることになるからです。

・・・

私たちは主によって与えられた働きが達成されるまで召されることはありません。ですから、平安のうちに憩いなさい。すべてのことは測り知ることのできない神の知恵によって定められています。

・・・

生きている時も、死の時も主の御手の内にあることを感謝し喜ぼうではありませんか。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、353頁f

「日々死んでいる」とパウロは語ります。主イエスさまに結ばれている、ということは、日々死んでいるということなのです。死につつある者として生きるとき、本当の意味で生きることになる、とスポルジョンは語ります。もし本当の意味で生きていないとすれば、自らが死につつある存在である、ということが確かにされていないからなのでしょう。

自らが死につつある存在である、といことを確かにすることは、人間の力ではできません。ただイエスさまの一方的な愛の力によってのみ可能なのです。ですから日々死につつある存在として生きるためには、日々主の愛をいただくこと、日々主の愛に生かされることがどうしても必要なのです。そのために私たちは日々主を礼拝します。

心筋梗塞からの快復の道は、大きく三つの段階をもって説明されます。発症から入院時を急性期、そして心臓リハビリテーションによる回復期、そしてその後の生涯にわたっての維持期。現在の私は回復期にあります。これは退院後から2~3か月、あるいは5~6か月まで、ということと説明されます。昨日から万歩計を身体につけるようになりました。よく一日一万歩などといわれるのですが、60を超えると8千歩ぐらいがよいようですね。万歩計はある行き過ぎを防ぐためにもあるそうです。筋肉をつけるためには、休ませる時間も大切だそうです。

「兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。」(1コリント15・31)