主から引き離されることは決してありません。永遠の愛があなたを支えているからです。主を信じたにもかかわらず、期待した主の支えと慰めを受けることがなかった、と感じたことはありませんでしたか。しかし、そのようなときでさえも、主からの支えと慰めは確かに与えられていたのです。
C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、28頁f
2021年1月15日(金)
祝祷で祈られる言葉の一つが民数記6章24節から26節のことばです。祝祷というのは「祷」という字が入っているので、祈りと誤解されていますが、本来礼拝においては、祝福の宣言みたいなものなのだと思います。祝福があるかどうかわからないけれども、とりあえず祝福があるように祈ります、というようなことではなく、何が何でも神さまの祝福があなたにあります!と宣言されているのです。
祈りと誤解するので、まるで牧師が会衆を祝福するかに見えてしまい、それを避けるために、「われらとともにあるように」などと、言い換えてしまい、本来の礼拝の意味から遠く離れてしまうようなことまで起こってしまいます。
神さまの祝福は、何が何でも信仰者とともにあるのです。それを互いに語り合いながら一週間に出発する、それが礼拝の祝祷(祝福)です。
「主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。」(民数記6・25)