永遠の富としての神

何も持っていなくても、神の子であるあなたには、大いに誇ることのできる、永遠の富としての神が与えられているではありませんか。・・・与えられているすべてのものを喜びましょう。私たちは貧しいのです。しかし、神を信じているゆえに大いに豊かな者となっています。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、26頁ff

2021年1月14日(木)

聖書にしるされている神さまこそ、私の神である、私たちの神である、と。そしてその神さまが私の主、私たちの主である、と語られました。聖書の神さまを、他宗教の神々と一線を引きその優位さを語っているのではありません。地を這う者、すなわち偶像とは、自分自身なのです。自分の願望、欲望、それらこそ偶像なのです。ですから聖書の神さまを信じることは、自分自身を主とする生き方との戦いであり、また解放なのです。

「わたしはあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである。地上を這う爬虫類によって自分を汚してはならない。」(レビ11・44)