出来事となった神の言葉

「出来事」と訳されている言葉は、丁寧に言うと、「実際に出来事として起こった言葉」である。出来事となった神の言葉である。・・・神からすべてのひとに与えられた平和のメッセージ、それは、イエス・キリストによって伝えられたが、実はまたひとつの出来事である。・・・主イエス・キリストこそ、出来事となった神の言葉である。羊飼いたち、そして私たちは、降誕祭の夜に、この出来事にあずかるのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、377頁

2020年12月22日(火)

この「出来事」と訳されている言葉は、原文のギリシャ語では「レーマ」。「実際に出来事として起こった言葉」である、と言われます。単なる出来事でもなく、単なる言葉でもない。それがこの主イエスさまご自身であり、出来事となった神の言葉なのです。ですから聖書の信仰に生きるということは、私たちもこの出来事にあずかることなのです。

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。」(ルカ2・15)

「神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。」(使徒10・36-37)