なぜ私たちには、キリストの血では足りないのだろうか。なぜ私たちは、キリストの血に対してよりも、自分の血に対して、くり返し信頼を寄せるのだろうか。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、266頁
第1列王記18章37節
2012年8月11日(土)
キリストの血よりも自分の血を信頼する人間の弱さ。自分の血とは、自分の努力や殉教精神、犠牲、奉仕、捧げものということでしょうか。
イエスさまが私のために十字架に架かってくださったという事実は、私を完全に救う神さまのみ業です。それなのにその神さまのみ業に何か足りないことがあるかのように自分の血を加えようとするのです。
神さまの前になす努力や殉教精神、犠牲、奉仕、捧げものはそこに愛がなければ何の意味もありません。愛と喜びを持って主に捧げるものでありたいと思います。
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