将来を展望し

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あの聖木曜日に、イエスが弟子たちのために用意された食卓で起こったことは、あの時を越えて、時間の極限にまで及ぶすべての将来を指し示す。ちょうどイスラエル人たちが、かつてエジプトで過越の食事をしたように、私たちも、将来を展望し・将来に向かって急ぎ、来るべきものを待つ者たちとして、主の食卓に歩み寄るべきである。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、241頁
第1コリント11章26節
2012年7月18日(水)

聖餐式は毎週礼拝において行われるべきですが、諸事情の中で、前任の教会も現在赴任している教会も第1日曜日の礼拝において行われています。この聖餐式をどのような気持ちで迎えているのでしょうか。リュティは、かつてイスラエル人が出エジプトにおいて行うことになった過越の食事のように、「将来を展望し・将来に向かって急ぎ、来るべきものを待つ者たちとして」行わなければならない、といいます。

いわば希望の食卓なのですね。

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