君が「腕」を振るう場合、君は名誉や財貨や力に達するだろうが、しかし神の祝福は失う。神の祝福は、君が「腕」をどう使うかではなくて、むしろ「膝」をどう使うかに―〔神の前に膝まずくかどうかに〕かかっている。あの丘を取り巻く村や町では、人々は外面的には祝福された丘のまわりに住んでいたが、もうとっくに「膝」ではなくてむしろ「腕」を頼りとしていたために、それは崩壊し四散するよりほかはなかった。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、239頁
エゼキエル書34章26,27節
2012年7月16日(月)
「腕」ということは、人間的な力によって、ということでしょう。それに対して「膝」ということは、神さまの前にひざまずき(跪き)、神さまのお力によって、ということでしょう。
主にあるものは、神さまのお力によってすべてのことをなすのです。そうでなければ、そこでなされたものはやがて崩壊し四散するのです。
神さまのお力によってなされたものだけが、永遠に変わることのないものとして存続するのです。
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