神があなたがたに望んでおられること

静まりの時

  • テーマ:絶えず祈れ
  • 聖書箇所:第一テサロニケ5・16~18
  • 日付:2026年10月09日(金)

16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

主イエスを信じてからの新しい生活は、「キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられること」を第一にして生きることです。

神さまは私たちに何を望んでおられるのか。ただ望んでおられるのではなく、「キリスト・イエスにあって」望んでおられること。他の訳では「キリスト・イエスにおいて」。イエスさまを土台として、という感じでしょうか。イエスさまから離れてではなく、イエスさまと一体となって。

喜んでいる、祈っている、感謝している。それが、神さまの望みです。

しかも、いつも喜んでいる、絶えず祈っている、すべてのことにおいて感謝している。

「いつも」。喜びは感情ですが、感情の問題であって感情の問題を超えているということでしょうか。決意の問題かもしれません。今日も喜ぶぞ、という決意。このことについても、喜んでやろう、という意思。

「絶えず」。四六時中、手を組んで目をつぶりひざまずいて祈ることは不可能です。この不可能を可能とするには、いつどんな時も、祈ってことを行なっている。あるいは、何をするにも、祈っている。祈りは、行為であって行為を超えていて、つまり生き方のことを語っているように思えます。食事をするときも祈っている。つまりイエスさまに心を向けている。仕事も、勉強も、とにかくすべてのことをするにおいて、イエスさまと一緒に行う。さらには、何もしないとき、眠っている時も、イエスさまの御手の中に安らいでいる。

「すべてのことにおいて」。感謝は、たいてい感謝することがあって起こる感情だと思いますが、すべてのことにおいて、ということは、この感謝は、感謝の対象を特定していない、ということです。感謝できることは大いに感謝するのですが、本来ならば感謝することの出来ないことをも、感謝する、という生き方。この感謝は、感謝する材料に左右されないので、全き自由な感謝です。

イエスさまのおっしゃられることは、なんともラディカルだと、ある先生は言っておられました。このような生き方が私たちに実現するならば、なんと幸いなことでしょう。イエスさまにある、ということは、そのような生き方を私たちに実現します。