静まりの時
- テーマ:絶えず祈れ
- 聖書箇所:詩篇42・1~11
- 日付:2026年10月08日(木)
1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように
神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
2 私のたましいは 神を
生ける神を求めて 渇いています。
いつになれば 私は行って
神の御前に出られるのでしょうか。
たましい。私自身、その存在そのもの。それを、私との間に少し距離を持って眺めてみる。
その「私のたましい」はいったいどういう状態の中にあるだろうか、と眺めてみる。
ここで詩篇著者は、私のたましいは、あなた、すなわち神さまを慕ってあえいでいるといいます。あえぐ。激しく求めている。息づかいもままならないほどに慕っている。それが、自分のたましいの状態である、と。
私たちは自分のたましいの状態を知っているだろうか。自分のたましいがどんな状態、どんな状況の中にあるのかを知っているだろうか。
この詩篇では、自分のたましいの状態を次のように観察しています。
- 神を慕っている(1)
- 神を求めて渇いている(2)
- うなだれている(5)
- 思い乱れている(5)
そのようなやり場のない「たましい」ですが、ここで、それを、注ぎ出す、ということをしています。(4)
注ぎ出す、とは、ただ、流れ入れる、というのにとどまらず、激しく流れ入れることだと思います。激しく祈る、たましいのすべてを、そのままに、神さまの御手の中に、注ぎ込んでいく。注ぎ込んだ後には、もはや何も残らないほどに、注ぎ出す。
もう一つは、問いかけています。なぜうなだれているのか、なぜ思い乱れているのか、と問う(5、11)。
たましいは、問われなければならない。悲しみの中にあっても、苦しみの中にあっても、絶望の中にあっても、問われなければならない。それがたましいです。
苦しみの中にあるたましいは、まるで光のない部屋に閉じ込められたようなことですが、なぜ、と問われることで、そこに光が差し込む。扉に隙間が生まれ、風が吹きこんでくる。たましいの置かれている状況、たましいの状態が見えてくる。違う角度から眺められるようになる。
そこに新しい言葉が語りかけられます。
神を待ち望め。
私はなおも神をほめたたえる。
私の救い私の神を。(5,11)
待ち望む。なおも神をほめたたえる。新しい言葉が獲得され、新しい言葉に生きるようになる。
神さまにお出会いするとはこういうことを言うのだと思います。